ロメオとジュリエット (グノー)
テンプレート:Portal クラシック音楽 『ロメオとジュリエット』(仏語テンプレート:Fr)は、フランスの作曲家シャルル・グノーが作曲した全5幕のオペラである。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を原作とする。
劇中の『ジュリエットのワルツ』やアリアなどは多くの歌手によって好んで歌われている。
概要
グノーが作曲したオペラの中では9番目にあたり、『ファウスト』に次いで最も目覚ましい成功を収めた作品である。またアリア『恋よ、恋よ』や第1幕におけるジュリエットのアリア(ワルツ)『私は夢に生きたい』、シャンソン『白いきじ鳩よ』は大変有名なことで知られる。
原作に比べると、劇的な力や表現、深みに欠けると評価されることもしばしば見受けられる。しかし、グノー独特の甘美な旋律や洗練された音楽は、多くの人々から広く好まれていることも事実である。
作曲の経緯と初演
構想に至るまで
1859年に『ファウスト』が初演されて成功を収めたグノーは、1860年に『フィレモンとボーシス(Philemon et Baucis)』[1]と『鳩(La colombe)』[2]、1862年に『シバの女王(La reine de Saba)』[3]の3作のオペラを立て続けに世に送り出したが、これら3作は『ファウスト』のような成功を収めることはできず、いずれも失敗に終わっている。
不振が続くグノーだったが、1863年に作曲され翌64年に初演されたオペラ『ミレイユ(Mireille)』[4]で再び成功している。この初演後にシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』のオペラ化の構想を練り始める。実際に、作曲に着手する以前に友人たちに宛てて書いた手紙の中で、このオペラの計画について仄めかしていることが窺える。
作曲から完成まで
グノーは1864年末に作曲を開始し、1865年の4月にフランス南部のサン=ラファエルでスケッチとその草案を作り、7月頃に完成させる。オーケストレーションも1866年の初め頃までに出来上がらせているが、その間神経症に悩ませられ、作業は滞っていたといわれる。
1866年に全曲を完成させた後、初演に向けて準備が行われたが、グノーはオペラの一部を部分的に補筆したり、レチタティーヴォを追加するなど、初演直前まで改訂を施している。
初演とその後
完成させた翌年の1867年4月27日に、パリのリリック座で初演され、前作『ミレイユ』に続いて大規模な成功を収めた。当時パリ万国博覧会が開催中のこともあって、劇場は連日満員で、フランス各地と国外から大多数の見物客が押し寄せていたことが要因であった。この大成功の後、同年の7月11日にコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウス)での上演を機に人気が急激に上昇し、この年の末にはドイツやベルギーなどの各主要都市でそれぞれ上演がなされている。
1888年にオペラ座での上演において、グノーは一部改訂を行い、第4幕のフィナーレにバレエ音楽を追加している。
原作と台本
- 原作:ウィリアム・シェイクスピアの同名の戯曲『ロミオとジュリエット』
- 台本:ジュール・バルビエとミシェル・カレのフランス語訳による
登場人物
人物名 | 声域 | 役 |
---|---|---|
ロメオ | テノール | モンタギュー家の長男 |
ジュリエット | ソプラノ | キャピュレット卿の娘 |
キャピュレット卿 | バス | ジュリエットの父 |
ローレンス神父(ローラン神父) | バス | ロメオとジュリエットを助けようとする神父 |
ティボルト(ティボー) | テノール | ジュリエットの従兄 |
ステファーノ | ソプラノ | ロメオの従者の少年、小姓 |
ジェルトリュード | メゾソプラノ | ジュリエットの乳母 |
グレゴリオ | バリトン | キャピュレット家の家来 |
パリス | バリトン | 若い伯爵 |
ベンヴォーリオ | テノール | モンタギュー家の甥 |
ジャン | バス | 修道士 |
公爵 | バリトン |
その他(合唱):キャピュレット家とモンタギュー家の家来たち、親戚たち、仮面舞踏会の客たち
楽器編成
演奏時間
全幕で約2時間30分。
あらすじ
プロローグ
管弦楽による激しい嵐を思わせる序奏で両家の憎しみが描かれる。合唱がこれから始まる悲劇のあらましを説明する。
第1幕 キャピュレット家の仮面舞踏会
仮面舞踏会のために集まった紳士淑女たち。家の当主キャピュレット卿がパリス伯爵との結婚を間近に控えた娘ジュリエットを紹介し、全員はその美しさにたちまち魅了される。客人たちが解散すると、モンタギュー家のロメオが仮面を付けて友人たちとともに忍んでやって来る。友人たちがここでひと暴れしようと企むが、ロメオはこれを止めるよう制するが、対してメルキューシュはロメオをからかい、彼を連れて去るのだった(メルキューシュは『マブ女王のバラード』を歌う)。
そこにジュリエットが乳母ジェルトリュードと現れる(青春を謳歌してアリア『私は夢に生きたい』を歌う)。直後に乳母が呼ばれ、一人残ったジュリエットの目の前にロメオが現れて話しかける。2人は瞬時に恋に落ちるのだった。そこに従兄のティボルトがジュリエットを呼びに来たため、ロメオは彼女がキャピュレット家の娘であることを知って驚く。一方立ち去る時の声で、モンタギュー家のロメオであることを見抜いたティボルトは、仇敵に対し剣を抜く。しかしすぐに現れたキャピュレットの諫めによって抑えられ、ロメオは友人たちと逃げるようにその場から去っていく。
第2幕 ジュリエットの家の庭
夜中にキャピュレット家の庭に忍び込んだロメオ。一方ジュリエットはバルコニーに向かい、ロメオへの思いを一人告白する。それを聞いたロメオが現れて、愛の二重唱を歌い合う。やがてジュリエットは別れを惜しみつつ、部屋の中へ消えて行く。
第3幕(全2場)
第1場 夜明け、修道院のロランの部屋
ロメオは神父ローレンスのもとへ訪問し、そこで神父にジュリエットとの恋を打ち明ける。そこにジュリエットが乳母とともに訪ねて来て、2人は神父に結婚の許しを乞うよう神に祈りを捧げる。長年に亘り敵対してきた両家の憎しみ合いが2人の結婚によって解消されることを目論んだローレンス神父は、2人に結婚の祝福を与えるのだった。
第2場 キャピュレット家の前の通り
一方キャピュレット家の近くの通りでは、ロメオの小姓ステファーノが主人を探しに来ていたが、同家を揶揄するかのようなシャンソンを歌う。それを聴いて怒りに震えたキャピュレット家の若者と友人メルキューシオとの間で乱闘が始まり、これに乗じてティボルトも加勢して激しい決闘へ発展してしまう。騒ぎを聞き駆けつけたロメオは2人を制止したが、その時ティボルトの剣がメルキューシオに刺さり、そのまま息絶えてしまう。友人の死を目の前で目撃したロメオは、剣を抜いてティボルトを倒す。そこにヴェローナ大公が現れ、ロメオを街から追放する条件でその場を収め、両家の面々に対し強く諫める。
第4幕(全2場)
第1場 ジュリエットの部屋、夜明け
ジュリエットは忍んで来たロメオに対し従兄ティボルトの殺害したことを許し、2人は愛の幸福の中で一晩をともに過ごす。だが夜明けには去らなければならない。ただ一人残ったジュリエットのもとに父キャピュレット卿がローレンス神父とともに現れ、パリス伯爵との結婚を宣誓する。絶望に打ちひしがれたジュリエットにローレンス神父は一計を案ずる。神父は一日仮死状態になれる薬を与え、墓からロメオとともに逃げるよう告げる。
第2場 キャピュレット家の屋敷の中における壮麗な広間、宮殿の回廊
キャピュレット家の宮殿の回廊では、ジュリエットとパリス伯爵との結婚が行われている。伯爵が指輪をはめようとした瞬間、ジュリエットは隠し持っていた薬を密かに飲み、突然倒れて仮死状態となり、周囲はただ驚愕するのみである。
第5幕 キャピュレット家の地下の墓所
神父からの伝言が遅れてしまったため、この計画について知る由もないロメオは、ジュリエットが死んだことを聞いてすぐに墓所へ駆けつける。その姿を見たロメオは絶望し、自ら持っていた毒薬を飲む。その直後にジュリエットが目覚め、二人は再会の歓喜に震えるが、全身に毒がまわったロメオはジュリエットの腕の中に崩れる。毒を飲んだことを知ったジュリエットは、後を追って短剣で胸を刺し、二人は最後の口づけを交わして息絶える。そして幕が閉じられる。
脚注
- ↑ 1859年に作曲されたもので、初演は1860年2月18日。全3幕からなるが、1876年に2幕版として改訂される。
- ↑ 1859年に作曲されたもので、初演は1860年の8月3日。全2幕からなる。
- ↑ 1861年に作曲されたもので、初演は1862年2月28日。原作はネルヴァルによる。全4幕からなる。
- ↑ ミシェル・カレの台本による牧歌的恋愛劇。初演は1864年3月19日。本来全5幕であるが、全3幕に改訂している。
参考資料
- 『新グローヴ オペラ辞典』(スタンリー・セイディ著,白水社)
- 『オペラガイド130選』(成美堂出版)
- 『オペラ鑑賞辞典』(東京堂出版)