レオニダス1世
レオニダス1世(テンプレート:Lang-grc-short、ラテン文字転記:Leonidas I、 ?-紀元前480年、在位:紀元前489年–紀元前480年)はアギス朝のスパルタ王である。
レオニダス1世はアナクサンドリデスの子であり、先王クレオメネス1世の異母弟である。レオニダスは三男であり、本来王位にはつきにくかったが、二人の兄クレオメネス1世とドリエウスの両方が死んだため、王位が回ってきた。彼はクレオメネスの一人娘ゴルゴーと結婚して、王位を継いだ。
ペルシア戦争を控えてデルポイに神託を聞いたところ「王が死ぬか、国が滅びるか」ということだった。そこでレオニダスは覚悟を決め、他の都市から来た兵士を帰し、わずかな軍でペルシアの大軍に立ち向かっていったのだとヘロドトスは書いている。さらにこの時がちょうどオリンピアでオリンピックを開催する年であったことも重なり、十分な軍を送ることができず、レオニダスは親衛隊300人のみを率いて出陣した。紀元前480年のテルモピュライの戦いに赴く時、死を覚悟した彼は出陣の直前に妻に「よき夫と結婚し、よき子供を生め」と言い残したという。
彼はテルモピュライでスパルタの重装歩兵300名を含むギリシア連合軍7000を率いて戦った。テルモピュライは隘路であったため、少数の軍でも大軍を食い止めることができたため、クセルクセス1世は大軍を十分に活かせず、自軍よりはるかに少数のギリシア連合軍に手こずった。しかし、内通者がペルシア側にギリシア軍の後ろに回りこむ裏道を教えたため、ギリシア連合軍は撤退を決定した。レオニダスは殿としてスパルタ軍、テスピアイ軍、テバイ軍を率いて戦い、自ら戦死し部下も玉砕した(ただしテバイ軍だけはペルシアに寝返った)。戦いの後、クセルクセスは部下にレオニダスの死体から首を刎ねるよう命じ、晒し首にした。
その奮戦によってアテナイは時間を稼ぎサラミスの海戦でペルシア海軍に勝利することが出来たため、レオニダスは古代ギリシアの英雄として今も語り継がれている。
彼の死後、王位は子のプレイスタルコスが継いだ。
関連項目
- スパルタ総攻撃 - テルモピュライの戦いを描いた映画
- 300 (コミック) - テルモピュライの戦いを描いたアメリカン・コミックス
- 300 〈スリーハンドレッド〉 - 上記の映画化作品
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