リヒャルト・フォン・ミーゼス

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リヒャルト・フォン・ミーゼス

リヒャルト・フォン・ミーゼスRichard von Mises1883年4月19日 - 1953年7月14日)は、オーストリア・ハンガリー帝国出身の科学者であり、流体力学空気力学航空工学静力学および確率論についての業績を残した。

元オーストリア・ハンガリー帝国領であった現在のウクライナリヴィウに生まれた。兄は著名な経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスである。現ウィーン工科大学で学び、1907年に博士号を得た。第一次世界大戦中はオーストリア軍の操縦士および航空機設計者であった。

フォン・ミーゼスは1919年ベルリン大学に新設された応用数学研究所に採用された。彼は、「Zeitschrift für Angewandte Mathematik und Mechanik」(応用数学および力学雑誌)を創刊し、編集者となった。

フォン・ミーゼスの著名な業績としては応力のひずみエネルギー説の展開がある。これは材料の強度計算において技術者が用いるもっとも重要な手法の一つである。塑性設計において用いられるミーゼス応力、ミーゼスの降伏条件(または降伏条件式)は、この理論に基づいている。

1933年ナチスが政権を獲得すると、フォン・ミーゼスは自身カトリック教徒ではあったが、ユダヤ人が先祖に居たため、非アーリア人に分類された。そのためトルコに移住し、さらに1939年にはアメリカ合衆国に移住してハーバード大学の教授に就任した。彼は、1943年に、ベルリンからトルコ、アメリカ行をともにしてきた数学者のヒルダ・ガイリンガーと結婚した。

リヒャルト・フォン・ミーゼスは、マサチューセッツ州で死去した。

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