リカルド・フロレス・マゴン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リカルド・フロレス・マゴン(Ricardo Flores Magón, 1874年9月16日 - 1922年11月21日)は、メキシコの社会運動家、無政府主義者。弟のエンリケ・フロレス・マゴン (1877年 - 1954年)は同じく無政府主義者でジャーナリスト・政治家となった。
フロレス・マゴンはメキシコ独立記念日にオアハカ州サンアントニオ・エロホチロラン(San Antonio Eloxochitlán)で生まれる。彼は多くの無政府主義者の著作を学んだ。ミハイル・バクーニンやピエール・ジョゼフ・プルードンの作品を読んだが、同時代の無政府主義者達の影響を受け、特にピョートル・クロポトキンからの影響を大きく受けた。
1905年、メキシコ史上初の左翼政党メキシコ自由党を結成する。ポルフィリオ・ディアス政権に対する武力闘争を試み、その動きがメキシコ革命へとつながっていった。
1904年からアメリカ合衆国へ潜入してたびたび逮捕され、彼の活動はアメリカの無政府主義者に影響を与えた。その後1918年に逮捕され、1917年のスパイ活動法の「戦争遂行妨害」の罪で20年の懲役を受ける。フロレス・マゴンは1922年、カンザス州のレブンワース刑務所で死去した。看守らの虐待やネグレクトが原因だと考えられている。遺骨は1945年にメキシコへ返還されてメキシコシティに埋葬された。
現在、出身地のサンアントニオ・エロホチトランは彼を記念してエロホチロラン・デ・フロレス・マゴン(Eloxochitlán de Flores Magón)と改名されている。