ラフティング
ラフティング (rafting) とは、ラフトを使用し川下りをするレジャースポーツ。特に急流を下ってスリルを楽しむホワイトウォーターラフティングを指すことが多い。また、業者が開催するラフティングツアーに料金を払って参加するコマーシャルラフティングを意味することも多い。
歴史
19世紀から20世紀前半、アメリカでは John Wesley Powell 少佐のコロラド川探検(1869年)に代表される、木製のボートによる川下りやコマーシャルラフティングのルーツといえるものが行われてきた。第二次世界大戦が終わると現在のゴムボートを使用したラフティングが確立し、各国で普及が進んだ。現在ではコマーシャルラフティングはアメリカ、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドなどの先進国からジンバブエ、チリ、ネパールなど発展途上国まで重要な観光産業の1つとなっている。
日本
日本では数十年前から大学の探検部の活動分野として一部の愛好家でのみ行われてきたが、その頃はまだラフティングという言葉は使われておらず、技術的にも安全性にも乏しいものであった。1977年大学の探検部等が中心になり第一回の日本リバーベンチャー選手権大会が開催された。この大会は現在も毎年行われ日本の個人によるラフティングスタイルの象徴となっている。
日本のコマーシャルラフティングは、モンベルが四国-吉野川で行ったのが始まりである。竪村浩一(現ネイチャー・ナビゲーター代表)の協力で始まったのを皮切りに、少しずつラフティングは一般に知られるようになる。1990年代後半にラフティングブームが起こりラフティングは1つのレジャーとしての地位を確立した。近年ではラフティングは中学や高校の修学旅行のプログラムの一つに組まれるようにもなった。
国内のコマーシャルラフティング
現在国内50以上の河川に100社以上のラフティング業者が存在、年間数十万人の人々がコマーシャルラフティングに参加している。「るるぶ」や「じゃらん」など旅行雑誌にもラフティング特集が組まれ、気軽に体験できるスポーツの一つとして紹介されている。北海道では鵡川(占冠)沙流川(日高)が激流とされ、尻別川(ニセコ)空知川(南富良野)も春の時期は激しいラフティングが楽しめる。関東では埼玉県の荒川や群馬県の利根川、中部では岐阜県の長良川や静岡県の富士川、関西では京都府の保津川や徳島県の吉野川、九州では熊本県の球磨川などがアクセスがよく、激流を楽しめるということで人気がある。
人気レジャーの一角を担うラフティングではあるが、それに合わせて問題も発生してきている。コマーシャルラフティングはガイドの経験があれば誰でも資格なしに開業できるため、業者が増えることで競争が激化し、料金の値下げや競争や一部の業者ではそれが原因でガイドの質が落ちたり、それも起因して隆盛時死亡事故も複数発生している。外国人ガイドの不法滞在に代表される一部のガイドや業者のモラル低下は特に指摘されている。また、近隣住民からの騒音苦情、地元の漁業組合とのトラブルなども合わせてラフティングへの風当たりも強い面もある。1997年にラフティングの健全な発展と業界自主規制を行うことを目的とし、社団法人ラフティング協会(RAJ、旧リバーガイド協会)が設立された。現在では、全国ラフティング会社の半数以上が加盟し、海難審判でもその存在を認めている。
国内の個人ラフティング
コマーシャルラフティングに比べ個人によるラフティングの国内普及は技術習得や資金集めなどの壁からそれほど進んではいない。大学探検部の主導による競技ラフティングが日本の個人ラフティングの代表的なスタイルとして今も続いている。毎年5月頃に利根川で全国の大学探検部によって開催される日本リバーベンチャー選手権大会がその象徴といえる。この他に世界大会国内予選(5月)、北山川ラフティング大会(9月)、長良川ホワイトウォーターフェスティバル(10月)などの大会が存在する。近年プロチームが参戦したことで競技が激化、技術レベルも向上している。
ラフティング世界大会
- 2007年ラフティング世界大会では、日本チームが総合778点で、ブラジル(783点), チェコ(781点)に次ぐ3位の成績を収めた。[1]
- 2009年ラフティング世界大会はボスニア・ヘルツェゴヴィナで5月17~24日まで開催された。総合成績では男子1位ブラジル2位日本3位イギリス女子1位カナダ2位日本3位チェコ。日本チームは男女ともに準優勝の活躍をみせ、日本のラフティングのレベルが世界トップクラスであることを証明してみせた。[2]
- 2010年ラフティング世界大会はオランダで7月に開催された。男子日本代表はラフティングチーム・テイケイ。女子日本代表はTHE RIVER FACEである。日本チームは男女ともに総合優勝した。世界大会において一つの国の男女ともに総合優勝したのは今回が初。