ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(テンプレート:Lang-de)は、ドイツ・ライプツィヒに本拠を置くオーケストラである。
目次
概要
1743年、世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足した[1]。
それまでの宮廷専属(歌劇場含む)オーケストラと異なり、このオーケストラの誕生で、自らの城や宮殿等を「演奏会場」として音楽を聞いていた王侯貴族のような身分・階級でなくとも、入場料さえ払えば誰でもオーケストラ演奏を聞けるようになった。
1835年、メンデルスゾーンがゲヴァントハウス・カペルマイスター(楽長)になると、技術的にも、そして楽員の年金制度創設など待遇面でもより基盤が固まり大きく飛躍することになった。ベートーヴェン・シューベルト・メンデルスゾーン・シューマン・ブラームス・ブルックナーをはじめ、多くの作曲家の作品を初演してきたことでも知られる。
なお、現在のホールは1981年完成の三代目であり、1781年以降、代々のホールに、このオーケストラのモットー(Motto)が掲げられている。(6 モットー)
特色
世界で唯一、楽員全員が、「シンフォニー」「オペラ」「宗教曲」、3つのジャンルすべてを日常的に演奏しているオーケストラである。
すなわち、本拠地ゲヴァントハウスでのシンフォーニー・オーケストラ、ライプツィヒ歌劇場でのオペラ・オーケストラ、聖トーマス教会での毎週末のミサ演奏、これら3つの仕事を、19世紀から変わることなく行っている[2] 。これは、楽員が3グループに分かれているわけではなく、全員がローテーションを組むことで成っている。(ライプツィヒ歌劇場、聖トーマス教会ともに専属オーケストラは持たない)
楽員数は約185名、世界で最も楽員数が多いオーケストラである[3]。海外公演中でも、ライプツィヒで通常通りミサ演奏・オペラ公演等、2ヶ所での並行した演奏が可能となっている[4]。第一コンサートマスターは3名おり、海外公演中も、1名はライプツィヒでその任にあたる[5]。
このオーケストラの楽員全員が3つのジャンルすべてを日常的に演奏する環境にある点に加え、ミサ演奏に見られるようにバッハの作品を毎週日常的に演奏しているオーケストラも世界で唯一ここだけである。リッカルド・シャイーは、2005年にこのカペルマイスターを受諾した理由が、これらの点にあることを内外のインタビューで述べている。(5 記事)
尚、2011年、創設150周年を迎えたゲヴァントハウス合唱団(下記、関連演奏団体)もあり、約185名の楽員と合わせ、世界有数の規模の音楽団体の一つである。
関連演奏団体
楽員による自主運営団体については、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団やゲヴァントハウスバッハオーケストラがある。前者は、1808年に結成され、2008年に結成200周年を迎えた世界最古の弦楽四重奏団で、結成から現在まで継続して首席奏者達により演奏活動が行われている。歴代メンバーには、メンデルスゾーン・ブラームス・チャイコフスキー、これら3つのヴァイオリン協奏曲の各初演ヴァイオリニストの3名が名を連ねている[6][7][8][9]。
声楽では、ゲヴァントハウス合唱団、ゲヴァントハウス児童合唱団がある。前者は、1861年、ゲヴァントハウス・カペルマイスターのカール・ライネッケにより創設され、1869年2月18日、カール・ライネッケ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されたブラームスのドイツ・レクイエムで合唱を担当している。
年表
- 1743年 3月11日 16名のメンバーで最初の「Große Concert(大コンサート)」を開催。市民階級の設立したフェラインにより運営されていたため、最古の民間オーケストラといわれる。
- 1744年 3月9日 1周年記念コンサートが開かれ、リーダーを務めてきたヨハン・フリードリヒ・ドーレス(バッハの弟子で後のトーマスカントル)のカンタータが上演された。この年からブリュールのゲストハウス「Drey Schwanen(三羽の白鳥)」に演奏会場を定める。
- 1756年 七年戦争のためコンサート活動が停止に追い込まれた。戦前「Große Concert」のフルート奏者を務めていたヨハン・アダム・ヒラーを指揮者に迎え、1763年活動が再開された。
- 1781年 11月25日 大学通りの「ゲヴァントハウス」(織物の見本市会場として使われていた建物)へ演奏会場を移し、初代カペルマイスター・ヒラーのもとコンサートが開かれた。
- この会場名が楽団名の由来となった。
- 1811年 11月28日 フリードリッヒ・シュナイダーのピアノ独奏で、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op73「皇帝」の初演が行われる。
- 1835年 メンデルスゾーンがカペルマイスターに就任し黄金期を迎えた。この時期、古典に加え、メンデルスゾーン本人やシューマンらの作品も多く初演され、この二人の協力によってシューベルトの「ザ・グレート」の初演も行われている。
- 1840年 9月26日 ゲヴァントハウス管弦楽団が市の管轄下におかれ、「シュタットオーケストラ」としての役割(市の行事や教会での演奏)を担うようになった。 このため今日でも聖トーマス教会やライプツィヒ歌劇場での演奏を担当することが伝統になっている。
- 1881年 11月25日 創立100周年記念コンサートには、ヨーゼフ・ヨアヒムがソリストとして登場した。この年のメンバー増員で、低弦各6名、木管各4名、ホルン6名などの体制になった。
- 1884年 12月11日 グラッシ通りに「新ゲヴァントハウス」が完成し、当時のカペルマイスターであるカール・ライネッケのもと、3夜連続でオープニングコンサートが開かれた。このホールは、ボストンのシンフォニーホールのモデルにもなっている。
- その後、この「新ゲヴァントハウス」を舞台に、アルトゥール・ニキシュ(1895-1922)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1922-1928)、ブルーノ・ワルター(1929-1933)、ヘルマン・アーベントロート(1934-1945)といった著名な指揮者がカペルマイスターとして活躍し、第二の黄金時代を迎えた。
- 1918年 12月31日 第一次世界大戦の終結とドイツ革命の起こったこの年、「平和と自由」の願いをこめて、バーネット・リヒトとアルトゥール・ニキシュのコラボにより、ベートーヴェンの第九が演奏され、「年末の第九」がゲヴァントハウス管弦楽団の伝統となった。
- 1933年 ユダヤ系だったワルターに対し、ナチスは演奏活動の禁止を命じる。ワルターはカペルマイスター辞任に追い込まれ、オーストリア、スイス、フランスを経てアメリカに亡命。
- ワルターに対しては、第二次世界大戦後その功績を称え、ライプツィヒ市から「ニキシュ賞」(1957年)、ゲヴァントハウス管弦楽団から「名誉団員」の称号(1961年)が贈られている。
- 1944年 2月20日 「新ゲヴァントハウス」が空襲により焼失。 アーベントロートのブルックナー(2月10日)とパウル・シュミッツのベートーヴェン(2月13日)がこのホールでの最後となったが、その後も演奏会は中断されることなく、劇場「Dreilinden」、映画館「Capitol」などを間借りして続けられた。
- 1946年 ヘルベルト・アルベルトがカペルマイスターに就任。この頃から演奏会は「Kongreßhalle(会議ホール)」で行われるようになる。
- 1949年 フランツ・コンヴィチュニーがカペルマイスターに就任。
- 1961年 初来日。ベートーヴェンの交響曲全曲演奏などを行っている。(→フランツ・コンヴィチュニー)
- 1964年 ヴァーツラフ・ノイマンがカペルマイスターに就任(1968年からはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者と兼務)。
- 1968年 ノイマンがプラハの春弾圧に抗議してカペルマイスターを辞任しチェコに帰国。
- 1970年 クルト・マズアがカペルマイスターに就任。
- 1981年11月25日 旧市街アウグストゥス広場に「現ゲヴァントハウス」が竣工。
- 1989年10月9日 テンプレート:要出典範囲
- 1998年 ヘルベルト・ブロムシュテットがカペルマイスターに就任。
- 2005年 リッカルド・シャイーが第19代カペルマイスターに就任。シャイーはライプツィヒ歌劇場の音楽監督も兼務している。
- 2008年 来日公演が予定されていたが、シャイーの急病により直前に中止となった。この時のプログラムは、ブルックナーの交響曲第4番を中心とするもの、マーラーの交響曲第1番を中心とするものの2種類用意されていた。
- 2009年 前年に中止となった来日公演の予定曲目(ただし、それぞれのプログラムの前半、ソリストは異なる)による来日公演が行われた。
指揮者
音楽監督
- 1763 - 1771 ヨハン・アダム・ヒラー(Johann Adam Hiller)
- 1772 - 1775 ゲオルク・シモン・レーライン(Georg Simon Löhlein)
- 1775 - 1778 ゴットロープ・フリードリッヒ・ヘルテル(Gottlob Friedrich Hertel)
カペルマイスター
- 1781 - 1785 ヨハン・アダム・ヒラー(Johann Adam Hiller)
- 1785 - 1810 ヨハン・ゴットフリート・シヒト(Johann Gottfried Schicht)
- 1810 - 1827 ヨハン・フィリップ・クリストフ・シュルツ(Johann Philipp Christoph Schulz)
- 1827 - 1835 クリスティアン・アウグスト・ポーレンツ(Christian August Pohlenz)
- 1835 - 1843 フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(Felix Mendelssohn-Bartholdy)
- 1843 - 1844 フェルディナント・ヒラー(Ferdinand Hiller)
- 1845 - 1847 フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(Felix Mendelssohn-Bartholdy)
- 1847 - 1848 ニールス・ヴィルヘルム・ガーデ(Niels Wilhelm Gade)
- 1848 - 1860 ユリウス・リーツ(Julius Rietz)
- 1860 - 1895 カール・ライネッケ(Carl Reinecke)
- 1895 - 1922 アルトゥール・ニキシュ(Arthur Nikisch)
- 1922 - 1928 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler)
- 1929 - 1933 ブルーノ・ワルター(Ehrenmitglied Bruno Walter)
- 1934 - 1945 ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth)
- 1946 - 1948 ヘルベルト・アルベルト(Herbert Albert)
- 1949 - 1962 フランツ・コンヴィチュニー(Ehrenmitglied Franz Konwitschny)
- 1964 - 1968 ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann)
- 1970 - 1996 クルト・マズア(Ehrendirigent Kurt Masur)
- 1998 - 2005 ヘルベルト・ブロムシュテット(Ehrendirigent Herbert Blomstedt)
- 2005 - 2020 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly)
メンバー(楽器順)
コンサートマスター
- 1796 - 1817在籍 バルトロメオ・カンパニョーリ(Bartolomeo Campagnoli, Konzertmeister)
- 1803 - 1835在籍 ハインリッヒ・アウグスト・マタイ(Heinrich August Matthäi, Konzertmeister) ※1808年ゲヴァントハウス弦楽四重奏団を組織。
- 1836 - 1873在籍 フェルディナント・ダヴィット(Ferdinand David, Konzertmeister) ※1845年メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演。
- 1848 - 1850在籍 ヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, Vorspieler) ※1879年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初演。
- 1850 - 1897在籍 エンゲルベルト・レントゲン(Engelbert Röntgen, 1.Konzertmeister)
- 1874 - 1882在籍 ヘンリ・シュラディーク(Henry Schradieck, 2.Konzertmeister)
- 1882 - 1889在籍 ヘンリ・ペトリ(Henri Petri, 2.Konzertmeister)
- 1898 - 1903在籍 フェリックス・バーバー(Felix Berber, 1.Konzertmeister) ※チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲初演者アドルフ・ブロツキーの高弟。
- 1903 - 1947在籍 エドガー・ヴォルガント(Edgar Wollgandt, 1.Konzertmeister)
- 1925 - 1932在籍 シャルル・ミュンシュ(Karl Münch, 2.Konzertmeister) ※後にフランスに帰化し、パリ管弦楽団、ボストン交響楽団の常任指揮者となる。
- 1933 - 1955在籍 クルト・シュティーラー(Kurt Stiehler, 2.Konzertmeister)
- 1948 - 1984在籍 ホルスト・ザンネミュラー(Horst Sannemüller, Stellv. 1.Konzertmeister)
- 1955 - 1987在籍 ゲルハルト・ボッセ(Ehrenmitglied Gerhard Bosse, 1.Konzertmeister)
- 1954 - 2001在籍 カール・ズスケ(Karl Suske, 1.Konzertmeister) ※1962-1975はベルリン国立歌劇場管弦楽団。
- 1987 - 現在在籍 フランク=ミヒャエル・エルベン(Frank-Michael Erben, 1.Konzertmeister)
弦楽器
- 1814 - 1827在籍 カール・ハインリヒ・マイヤー(Carl Heinrich Meyer, 1.Bratscher)
- 1925 - 1969在籍 アーノルド・マッツ(Arnold Matz, Solo-Bratscher)
- 1957 - 1994在籍 ディートマール・ハルマン(Dietmar Hallmann, 1.Solo-Bratscher)
- 1958 - 1996在籍 ハンス=クリスティアン・バルテル(Hans-Christian Bartel, Solo-Bratscher)
- 1849 - 1860在籍 フリードリッヒ・グリュッツマッヒャー(Friedrich Grützmacher, 1.Cellist)
- 1874 - 1880在籍 カール・シュレーダー(Carl Schröder, Solo-Cellist)
- 1876 - 1924在籍 ユリウス・クレンゲル(Ehrenmitglied Julius Klengel, Solo-Cellist)
- 1933 - 1943在籍 アウグスト・アイヒホルン(August Eichhorn, Solo-Cellist)
- 1957 - 1989在籍 ジークフリート・アーノルド(Siegfried Arnold, 1.Solo-Cellist)
- 1988 - 1992在籍 ミヒャエル・ザンデルリング(Michael Sanderling, 1.Solo-Cellist)
- 1907 - 1936在籍 テオドール・アルビン・フィンダイゼン(Theodor Albin Findeisen, 1.Kontrabassist)
- 1937 - 1978在籍 コンラート・ジーバッハ(Konrad Siebach, 1.Solo-Kontrabassist)
木管楽器
- 1754 - 1776在籍 ヨハン・ゲオルク・トロムリッツ(Johann George Tromlitz, 1.Flötist)
- 1814 - 1855在籍 カール・アウグスティン・グレンザー(Carl Augustin Grenser, 1.Flötist)
- 1881 - 1917在籍 マクシミリアン・シュヴェードラー(Ehrenmitglied Maximilian Schwedler, 1.Flötist) ※1909年ライネッケのフルート協奏曲を初演。
- 1904 - 1951在籍 カール・バートゥツァット(Carl Bartuzat, 1.Flötist)
- 1960 - 2004在籍 カール=ハインツ・パッシン(Karl-Heinz Passin, Solo-Flötist)
- 1867 - 1893在籍 グスタフ・アドルフ・ヒンケ(Gustav Adolf Hinke, 1.Oboist)
- 1881 - 1910在籍 カール・タメ(Ehrenmitglied Carl Tamme, 1.Oboist)
- 1893 - 1930在籍 アルフレート・グライスベルク(Alfred Gleißberg, 1.Oboist)
- 1929 - 1936在籍 ルドルフ・ケンペ(Rudi Kempe, 1.Oboist) ※後にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となる。
- 1936 - 1972在籍 ヴィリー・ゲルラッハ(Willy Gerlach, 1.Oboist)
- 1947 - 1991在籍 ペーター・フィッシャー(Peter Fischer, Solo-Oboist)
- 1955 - 1958在籍 マンフレート・クレメント(Manfred Clement, 1./2.Oboist)
- 1995 - 現在在籍 アンドレアス・レーネルト(Andreas Lehnert, Solo-Klarinettist)
- 1857 - 1887在籍 ユリウス・ヴァイセンボーン(Julius Weissenborn, 1.Fagottist)
- 1899 - 1936在籍 カール・シェーファー(Carl Schaefer, 1.Fagottist)
- 1952 - 1990在籍 ヴェルナー・ゼルトマン(Werner Seltmann, Solo-Fagottist)
- 1992 - 現在在籍 ダヴィット・ペーターセン(David Petersen, Solo-Fagottist)
金管楽器
- 1841 - 1853在籍 エドゥアルト・ポーレ(Eduard Pohle, 1.Hornist) ※1850年シューマンのコンツェルトシュテュックを初演。
- 1864 - 1899在籍 フリードリッヒ・グンペルト(Friedrich Gumpert, 1.Hornist)
- 1903 - 1946在籍 アルビン・フレーゼ(Albin Frehse, 1.Hornist)
- 1949 - 1961在籍 エーリッヒ・ペンツェル(Erich Penzel, Solo-Hornist)
- 1956 - 1992在籍 ヴァルデマール・シーバー(Waldemar Schieber, Solo-Hornist)
- 1959 - 1969在籍 ペーター・ダム(Peter Damm, Solo-Hornist)
- 1951 - 1956在籍 ロルフ・クインケ(Rolf Quinque, 2.Trompeter)
- 1957 - 1998在籍 アルミン・メンネル(Armin Männel, Solo-Trompeter)
- 2006 - 2011在籍 ジュリアーノ・ゾンマーハルダー(Giuliano Sommerhalder, Solo-Trompeter)
- 1822 - 1846在籍 カール・トラウゴット・クヴァイサー(Carl Traugott Queisser, 1.Bratscher u. Posaunist) ※1837年ダーヴィットのトロンボーン協奏曲を初演。
- 1876 - 1909在籍 ロベルト・ミュラー(Robert Müller, Bass-Posaunist)
記事
- (日)レコード芸術 2010年1月号 "今月のアーティスト]リッカルド・シャイー(指揮)…… 諸石幸生"
- (英)The Times. 2008-11-02. "How Riccardo Chailly reinvented the Gewandhaus Orchestra"
- (英)The Times. 2009-12-25. "Riccardo Chailly on LGO as Barbican regular"
- (英)Telegraph. 2009-12-25. "Leipzig Gewandhaus Orchestra: safe in the hands of Riccardo Chailly"
- (独) MDR Regional Sachsen. 2008-06-20. "Riccardo Chailly will Leipziger Oper verlassen"
- (独)Leipziger Volkszeitung. 2008-06-20. "Chailly hört bei der Oper auf - Verlängerung beim Gewandhaus"
モットー
Res severa verum gaudium
1743年の発足から38年後、1781年、ゲヴァントハウスの初代ホールがオープンした時から、古代ローマの政治家・哲学者・詩人であるセネカのこの言葉がホールに掲げられており、今日に至るまで、このオーケストラのモットー(Motto)となっている。(発音:レ セベーラ ベルン ガウディオ)
このラテン語の文言について、ゲヴァントハウス公式ホームページに、ドイツ語訳と英語訳が記載されている。ドイツ語訳「Wahre Freude ist eine ernste Sache」、英語訳「True pleasure is a serious business」。
現在の三代目ゲヴァントハウス(1981年完成)では、客席正面のアレキサンダー・シュッケ社製オルガンに、大きくこの文言が刻まれている[10][11]。
外部リンク
脚注
- ↑ アンドレアス・シュルツ(ゲヴァントハウス管弦楽団 事務局長)インタビュービデオ
- ↑ ゲヴァントハウス公式ホームページより、「St. Thomas's Church and the Leipzig Opera」、「When the orchestra came under the aegis of the city in 1840, it was charged with the task - still in effect to this day - of providing the services of the Gewandhaus Orchestra at three Leipzig performance venues: accompanying the St. Thomas's Boys Choir at St. Thomas's Church, for productions of the Leipzig Opera and for the Grand Concerts in the Gewandhaus. These three functions make the Gewandhaus Orchestra one of the busiest orchestras in Germany, with over 200 performances in Leipzig and on tour, and the centre of Leipzig's musical life. 」。 また、ゲヴァントハウス管弦楽団は、オペラも、ミサ演奏も、オーケストラの名前はそのままで行う。他では、名前を変えるケースが多いテンプレート:要出典。なお、ライプツィヒ歌劇場が、「歌劇場管弦楽団」といった「専属オーケストラ」を持たない点については以下の2つを参照。ドイツ版 wikipedia「Oper Leipzig」より、Geschichte、「Die Oper Leipzig hat kein eigenes Opernorchester, traditionell spielt bei allen Vorstellungen im Opernhaus das Gewandhausorchester. Die Kooperation zwischen Opernhaus und Gewandhausorchester begann 1766 mit dem Singspiel „Der Teufel ist los oder Die verwandelten Weiber“ von Johann Adam Hiller. 」、英語版 wikipedia「Leipzig Opera」より、「The Leipzig Opera does not have its own opera orchestra, and the Leipzig Gewandhaus Orchestra performs as the orchestra for the opera. This relationship dates back to 1766, with performances of the Singspiel Die verwandelten Weiber, oder Der Teufel ist los by Johann Adam Hiller.」。
- ↑ アンドレアス・シュルツ(ゲヴァントハウス管弦楽団 事務局長)インタビュービデオ
- ↑ オペラハウスで演奏する歌劇場管弦楽団が、シンフォニーコンサートでは名前を変えて演奏するケース、逆に、コンサートオーケストラが、そのままの陣容と名前でオペラを演奏するジュネーブやザルツブルクのケース、等々はよく知られている。しかし、ゲヴァントハウスの場合はフル編成二班に分かれ独自に稼働できるため、ライプツィヒ歌劇場は他のドイツの歌劇場と変わりなくシーズン稼働している。
- ↑ コンサートマスター「Christian Funke」「Frank-Michael Erben」「Sebastian Breuninger」の3名。海外公演中、2名もしくは1名が同行して、ライプツィヒでは1名もしくは2名がその任にあたる。ちなみに、2009年アジアツアー(中国・日本、公演順)は「Frank-Michael Erben」「Sebastian Breuninger」がツアーに同行し、2011年アジアツアー(日本・韓国・台湾・香港、公演順)では「Christian Funke」「Frank-Michael Erben」がツアーに同行した。いずれの場合も1名はライプツィヒでその演奏にあたる。
- ↑ チャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲の初演ヴァイオリニスト、アドルフ・ブロツキーのみ、ゲヴァントハウス管弦楽団に在籍歴はないが、1883年~1891年、ブロツキーがライプツィヒ音楽院教授時代、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団で、第2ヴァイオリンを担当した。(2008年11月10日、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団来日時、首席チェロ奏者ユルンヤーコブ・ティムへの「結成200周年」に関するインタビュー記事より オーケストラブログ)
- ↑ ゲヴァントハウス弦楽四重奏団 ドイツ版 wikipediaより、「Gewandhaus-Quartett」 Besetzung、2段落目後半 「So z.B. unter Henri Petri (1856-1914) und Adolf Brodsky (1851-1929) oder Edgar Wollgandt (1880-1949) und Kurt Stiehler (1910-1981). Zumeist stellten dies aber nur kurze Phasen des Übergangs dar.」
- ↑ チェリストDAVID JOHNSTONE の論文 (PDF版) 「THE LATE-ROMANTIC GERMAN CELLO SCHOOL — AN INTRODUCTION TO JULIUS KLENGEL AND HIS COMPOSITIONS」 http://www.j-music.es/FileUpload/articulos/vlc016-ARTICLE-Julius_Klengel_j-m.pdf 、3ページ目 最後5行 「Gewandhaus Quartet, led by the violinist Adolf Brodsky (to whom. Tchaikovsky had dedicated his Violin concerto)」
- ↑ フェルディナンド・ダヴィッド(1836-1873)の死後、Engelbert Röntgen(1873-1884)、Henry Schradieck(1874-1882)、Henri Petri(1882-1889)、Arno Hilf(1889-1891)、Karl Prill(1891-1897)、Max Lewinger(1897-1899)らがゲヴァントハウス弦楽四重奏団のプリマリウスを務めた。(カッコ内は在籍期間、重複期間は第一ヴァイオリン奏者が複数いたことを示す。)その後1899年にはMax Rother以外の3名が退団した。
これとは別に、ライプツィヒ音楽院に着任したアドルフ・ブロツキー(1884-1891)は、自らをリーダーとする弦楽四重奏団を組織し、彼の渡米後はArno Hilf(1891-1898)がこの四重奏団と音楽院教授の職を引き継いだ。(カッコ内は在籍期間。)しかし1898年チェロのユリウス・クレンゲル以外のメンバーが交代し、翌1899年には前述のビオラ奏者Max Rotherを迎え両団体は統合された。
なお、アドルフ・ブロツキーが「第2ヴァイオリンを担当した」(脚注6)との記述は、引用者によるブログ記事の読み誤りであり、このような事実はない。また同じ引用者の「led by the violinist Adolf Brodsky」(脚注8)とも矛盾する。(これでは第2ヴァイオリン奏者が当該四重奏団を率いたことになってしまう。)ただし、若きヨーゼフ・ヨアヒムは第2ヴァイオリンを担当したこともある。 - ↑ ゲヴァントハウス・公式サイトの Gewandhaus History 3段落目、「The centrepiece of the hall is the majestic organ built by Schuke of Potsdam with its four manuals, 89 ranks, three chime and cymbal stops and 6,638 pipes.」、および、「The organ bears an inscription with the Gewandhaus motto "RES SEVERA VERUM GAUDIUM" (True pleasure is a serious business).」
- ↑ 東独時代一時公社化されVEB Potsdamer Schuke Orgelbauとなったが、1990年から社名をAlexander Schuke Potsdam Orgelbau GmbHに戻した。