モナルキア主義
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モナルキア主義(テンプレート:Lang-la)は唯一神論、単一神論とも言われ、2世紀以降あらわれ異端とされたキリスト教の一派。異端とされた理由はつまるところ、三位一体の神解釈が正統派のそれとずれていたことであった。
概説
モナルキアという言葉に含まれるモノというのは、モノラルという言葉からもわかるように「1つ」という語義である。
このモナルキア主義の発生はキリスト教のルーツと深い関係がある。本来キリスト教は厳格な一神教であるユダヤ教の中から始まった宗教運動であった。ところがキリスト教では父なる神のみならず、子なる神イエス、そして聖霊という三つの「神」をどう解釈するかという問題に突き当たることになる。モナルキア主義はあくまで不動の唯一神論を基点として三位一体を解釈しようとした。そのため、父、子、聖霊という三つにおいてのそれぞれの神性にゆらぎが生じることになるのである。
モナルキア主義にはアプローチの違いによって、「動態的モナルキア主義」と「様態的モナルキア主義」の二つの方向性があった。
- 動態的モナルキア主義
- 以前から存在した養子説の流れをくみ、イエスの人間性を強調することで神の唯一性を維持しようとしたものである。つまりイエスはある時点で神の霊あるいは力(デュナミス)を受けたのが、本質的には人間であるという立場である。
- 様態(モドゥス)的モナルキア主義
- キリストの神性を強調することで神の唯一性を維持しようとした。たとえば天父受苦説とよばれる立場がそれにあたるが、十字架につけられたイエスは神が人間の様態(モドゥス)をとっていたものであり、苦しみを受けたのは父なる神であったという説などがある。
カルタゴの神学者テルトゥリアヌス、ローマの神学者ヒッポリュトスはモナルキア主義を激しく糾弾、それ以降の教会内の議論によって、モナルキア主義は三位一体論の確立と共に、異端の烙印を押されて歴史に消えてゆくことになる。しかし、皮肉なことに彼らの存在があったからこそ正統的な三位一体論が確立したともいえる。モナルキア主義の思想はやがてアリウス派へと引きつがれ、4世紀のキリスト教をゆさぶることになる。