マリー・アドルフ・カルノー
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マリー・アドルフ・カルノー(Marie Adolphe Carnot, 1839年1月27日 – 1920年6月20日)はフランスの鉱物学者、化学者で政治家。有名なカルノー一族の出身。政治家ラザール・イポリット・カルノーの息子であり、やはり政治家のマリー・フランソワ・サディ・カルノー(大統領を務めた)の弟にあたる。
パリに生まれ1860年にエコール・ポリテクニックを卒業後、国立高等鉱山学院(Ecole Nationale des Mines)に入り、1868年からリモージュ近郊の鉱山で技師として働いた。鉱山監察官を経て、1901年に高等鉱山学院長となり1907年まで勤めた。
行政職と教育のほかに、鉱物の分析化学に関する教程(Traité d'analyse des substances minérales、1898年刊)を著し、研究では特に彼の名を冠したカルノタイト(カルノー石またはカルノー鉱、ウラン鉱石の1種、1899年)の発見で有名である。また科学アカデミー等の要職を歴任し、政治家としても活動して、レジオンドヌール勲章を授与された。