ポルシェ・956

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テンプレート:レーシングカー ポルシェ・956(Porsche956)は、1982年に発効したFIAの新規定のうち、ポルシェグループCに合わせて造られたプロトタイプレーシングカーである。開発責任者はノルベルト・ジンガー。ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。

概要

ポルシェは1976年に世界スポーツカー選手権参戦用にグループ6規格のスポーツプロトタイプカーポルシェ・936を開発・製作した。ポルシェは世界スポーツカー選手権の参戦を1年で切り上げ、その後はル・マン24時間レースでのみ936のレース活動が行われていた。1982年から新たにグループC規格で世界耐久選手権が行われることになり、ポルシェは936に代わるスポーツプロトタイプカー、956を開発・製作した。

デビュー年の1982年はワークスのみが956を使用したが、1983年からカスタマー・チームにも販売されるようになり、956の後継車ポルシェ・962とともに世界中のスポーツカーレースで活躍した。

エンジン

935/76型

ポルシェがインディ500参戦用に開発した空水冷・水平対向6気筒・シングルターボの935/72型エンジンをツインターボ化したもの。1982年にワークスが、1983年にはカスタマーチームがそれぞれ使用した。

排気量は2,650ccで、左右3気筒ずつを担当する2つのターボチャージャーで1.2barに過給し、620PS以上を発生した。ただし1982年のル・マン24時間では燃費向上のため過給圧を1.1barとしている。エンジンマネージメントシステムは当初ボッシュモトロニックMP1.2を使用する予定だったが間に合わず、クーゲルフィッシャーのメカニカルインジェクションを使用した。

ディフューザーの傾斜角を確保するため、エンジンを前掲させて搭載している。

1983年にはバランスチューブでサージタンクを接続し、左右のサージタンク内の過給圧が均等になるよう改良が行われた。

935/82型

935/76型のエンジンマネージメントシステムをボッシュ製のエレクトリックコントロールユニット、モトロニックMP1.2により電子制御化したもの。冷却方式も、それまでのシリンダーヘッドだけが水冷だったものからシリンダーブロックも含めた全水冷に変更された。1982年のシーズン後半からワークスが試用し、1984年からはカスタマーチームにも供給された。

1984年にはツインインジェクター化された[1]。また、1986年には排気量を2.8Lに拡大されたものが、カスタマーチームに供給された。

シャーシ

956のエンジンはミッドシプに搭載され、燃料タンクはシート後部に配置される。ラジエーター、インタークーラーなどはコックピットの側面に装備されている。

ポルシェは936までは鋼管スペースフレームのシャシーを使用していたが、グランドエフェクトによるダウンフォース増大に対応するため、956でポルシェでは初となるツインチューブ式のアルミニウムモノコックを採用した[2]。モノコックはアルミ板をリベットで接続、接着剤も使用し組み上げたもので重量に比して高い剛性を得ることができた[3]

サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーンで、リヤサスペンションのコイル・スプリングはディフューザーのアップスイープに干渉しないようにアッパーアームの上部に配置されている。

カウルは1982年製作の物はFRPを使用していたが、1983年製作の物からケブラーに材質が変更され17kgの軽量化が図られた[3]

ホイールは前後とも16インチのものが標準であったが、962C登場後、性能向上を目的に962Cのリヤサスペンションとリヤカウルを使用するチームが多くなった[4]

トランスミッション

ポルシェ944LM開発時に製作したシンクロ付き5速。

空力

グループCが燃費フォーミュラであることから低ドラッグであることが求められ、ポルシェとしては初めてグラウンド・エフェクトカーとして製作された。水平対向エンジンは横幅があるためグラウンド・エフェクトカーには不向きであるが、エンジンを5°前傾させて搭載しディフューザーのスペースを確保した。また、フロント床下部にはポルシェハンプと俗称される逆翼状の窪みを設けている。これはフロント・ベンチュリとして機能し、床下の気流の流速を維持する効果があるという。リアウィングは垂直安定板を介してカウルに装着される。

約6kmの長い直線が特徴だったル・マン24時間においては速度性能を重視し、低ドラッグ、低ダウンフォースのローウイング・ロングテール仕様の機材が用意された。ただし、延長されているのはテールカウルのみであり、そこにマウントされるリアウイングの後端垂線位置に変更はない。これは全長が4,800mm以内というレギュレーションによるものであり、よってノーマル機材とル・マン機材、いずれも全長は同一である。ポルシェハンプは採用されていない[3][5][6]

開発年譜

1982年

  • 5月、WEC第2戦シルバーストン6時間でデビュー(アルミツインチューブ・モノコック、935/76エンジン)。
  • 9月、WEC第5戦、スパ1000kmで2号車がモトロニックを試用し2位入賞[7]

1983年

  • ワークス、935/82エンジンに移行。
  • 1982年のワークス・マシンと同型車をカスタマー・チームに販売。

1984年

  • 1983年のワークス・マシンと同型車をカスタマー・チームに販売(956B)。
  • ヨースト・レーシング(以下ヨースト)、WEC第3戦ル・マン24時間にメカニカルインジェクション仕様のエンジンを使用して優勝。
  • リチャード・ロイド・レーシング(RLR)、アルミハニカム製モノコックの956-106BをWEC第7戦スパ1000kmにデビューさせる。
  • ワークス、WEC第8戦イモラ1000kmの予選でPDKを試用。
  • ワークス他一部カスタマーチーム、ベンチュリー効果向上のためアンダーパネルのエンジン下部にある排熱ルーバーを塞ぎ、アンダーパネルのトランスミッション付近に排熱用のスリットを設ける[8]

1985年

  • ワークスの使用車両、956から962Cに移行。
  • ヨースト、ル・マンで3.0Lエンジンを使用し優勝[9]

1986年

  • 世界選手権、WECからスプリント・イベントを含むWSPCに移行。
  • ポルシェ、カスタマー・チームに2.8L仕様の935/82エンジンを供給。
  • ヨースト、ル・マンの予選で大型ターボチャージャー付き3.2Lエンジンを使用[10]
  • ブルン・モータースポーツ、WSPCの予選で空水冷3.2Lエンジンを使用。

最強マシン

ファイル:Porsche956WBrun19850802.jpg
956(カスタマースペック/1985年)

ル・マン24時間を1982年 - 1985年にかけて4連覇するなど、圧倒的な強さを誇った。1982年のレースでは1、2、3号車がゼッケンナンバー通りに1、2、3位を独占した。

1983年からカスタマースペックが市販されたことから、ブルン・モータースポーツをはじめとするヨーロッパのプライベーターが多数使用し、同年の同レースでは9位を除くベスト10を956だけで独占、1984年にはFIAへの抗議のためワークスが欠場したにもかかわらず8位と10位を除くベスト10を956だけで独占している。

またニュルブルクリンク北コース(L=20.830km、1983 - 1984年)での絶対コースレコード6分11秒13は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmのフリー走行中にこの車で記録したものである。 テンプレート:-

日本国内のレース戦績

1983年の全日本耐久選手権 (JSPC) に、ノバ・エンジニアリングがル・マン用ローウイング・ロングテール仕様のトラストポルシェ956を参戦させ、富士1000kmでのデビューウイン以降ほぼ全勝の輝かしい戦績を残す。 同年秋に開催された世界耐久選手権(WEC)シリーズ中の1戦、WEC-JAPAN(富士1,000Km)には956勢の中でただ1台ローウイング・ロングテール仕様で参戦。低ドラッグによる燃費の良さを生かして快走を見せ、同じカスタマー仕様の956を使用する海外の各有力プライベートチームを上回り、燃費・パワーの点で有利なボッシュモトロニックMP1.2を使用するワークスチームに次ぐ3位入賞を果たした。ヨーストをはじめとする海外有力プライベートチームも参加する中での3位入賞は、日本のプライベートチームのレベルの高さを示すことができたとされ、翌年以降、他の国内プライベートチームにも956が提供されることになった。

1984年以降は国内プライベートチームも大幅に増加し、トヨタ(WRCグループBセリカにも使用されていた4TGターボを転用したトムス83C)、日産(日産・スカイラインターボCや、マーチ製シャーシにLZ20Bターボを搭載したマーチ83G)のワークスチームを相手に圧倒的な強さを示し続けながら、国内耐久レースを盛り上げた。 956と、その後ポルシェ962Cの国内プライベートチーム提供によって起きた国内耐久シリーズの盛り上がりがトヨタ、日産ワークスチームのル・マン24時間レース参戦に繋がったことは間違いなく、間接的ながら国内モータースポーツ発展に大きな功績があったといえる。

ノバの森脇基恭は、956について「マシンに6か月保証が付いている」、「エンジンに6,000kmまでオーバーホール不要の保証が付いている」、「エンジンのオーバーホールがポルシェの一般車と同じ工場で行われるため費用が格安なこと」、「WEC全戦にポルシェからサービスカーが派遣されスペアパーツがその場で購入できる」、などアフターセールの良さについて絶賛している[11]

引退

グループCの安全規定が変更(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)されたことにより956は1987年以降は出場できなくなり、この規定に沿ってモディファイされた後継モデルの962Cにその座を譲り渡した。しかし、実質上は962Cは956の「エボリューションモデル」という位置づけになるため、基本的には同一車種として見なすことができる。 

主なドライバー

脚注

  1. 熊野学、『全日本富士500kmレース ニューマシン・リサーチ』、「オートスポーツ」 No.399、三栄書房 、1984年。
  2. カーグラフィック」 No.524、p.199、二玄社、2004年。
  3. 3.0 3.1 3.2 ポール・フレール、『トラックインプレッション:ポルシェ956』、「カーグラフィック」 No.268、1983年。
  4. Racing On」 No.459、p.43、三栄書房、2012年。
  5. 「カーグラフィック」 No.318、二玄社、1987年、p.201~p.203。
  6. モデルグラフィックス」 No.285、大日本絵画、2008年、p.23。
  7. 「カーグラフィック」No.268、p.233 二玄社、1983年。
  8. 「オートスポーツ」 No.408、p.38、三栄書房、1984年。
  9. 「CAR GRAPHIC」 No.294、p.238、二玄社、1985年。
  10. 「CAR GRAPHIC」 No.305、p.90、二玄社、1986年。
  11. 森脇基恭、『GARAGE TALK 4.史上最強の耐久レースマシン、ポルシェ956のこと』、「Racing On」 No.012、武集書房、1987年。

関連項目

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