ヘルマン-ファインマンの定理
ヘルマン-ファインマンの定理(-のていり、テンプレート:Lang-en-short)とは、量子力学において、パラメータ依存したハミルトニアンとそのエネルギー固有値に関する定理である。定理の名は、ドイツの物理学者テンプレート:仮リンクと米国の物理学者R. P. ファインマンに因む。定理を最初に明示的な形で表したのは、P. Güttingerであるが[1]、W. パウリやヘルマンの論文にも記されている[2][3]。特にヘルマンは分子への適用に向けて、変分形式で表現した。また、1939年に当時、マサチューセッツ工科大学の学生であったファインマンは、この定理を示すともに、化学結合した原子において、電子及び他の原子核が原子核に及ぼす力は古典的な静電力として、扱えることを示した[4]。「ヘルマン-ファインマンの定理」の名が定着したのは、J. C. スレイターがその著書の中でその名で呼んだことによる[5][6]。
定理
系のハミルトニアンが、あるパラメータλに依存するとして、それをH (λ)と表現する。H (λ)の固有状態|ψλ>があって、 H (λ) |ψλ> = E (λ) |ψλ>及び規格化条件<ψλ|ψλ>= 1 が満足されるとする。このとき、
- <math> { d E (\lambda) \over { d \lambda } } = \left \langle \psi_\lambda \left | {d H(\lambda) \over {d \lambda} } \right | \psi_\lambda \right \rangle </math>
が成り立つ。これがヘルマン-ファインマンの定理の主張である。
ここで、パラメータλが、原子位置座標Rαの場合、ヘルマン-ファインマン力となる。
証明
<math> \begin{align} { d E (\lambda) \over { d \lambda } } &= \frac{d}{d\lambda} \left \langle \psi_\lambda \left| H(\lambda) \right |\psi_\lambda \right \rangle \\ &= \bigg ( \frac{d}{d\lambda} \bigl \langle \psi_\lambda \bigl |\bigg )H(\lambda) \bigr |\psi_\lambda \bigr \rangle +\bigg \langle \psi_\lambda \bigg | \frac{dH(\lambda)}{d\lambda} \bigg | \psi_\lambda \bigg \rangle +\bigl \langle \psi_\lambda \bigl |H(\lambda)\bigg ( \frac{d}{d\lambda} \bigr | \psi_\lambda \bigr \rangle \bigg ) \\ &= E(\lambda) \bigg ( \frac{d}{d\lambda}\bigl \langle \psi_\lambda \bigl | \bigg ) \bigr | \psi_\lambda \bigr \rangle +\bigg \langle \psi_\lambda \bigg|\frac{dH(\lambda)}{d\lambda} \bigg | \psi_\lambda \bigg \rangle +E(\lambda) \bigl \langle \psi_\lambda \bigl | \bigg ( \frac{d}{d\lambda}\bigr |\psi_\lambda \bigr \rangle \bigg ) \\ &= E(\lambda)\frac{d}{d\lambda}\langle \psi_\lambda | \psi_\lambda \rangle +\bigg \langle \psi_\lambda \bigg | \frac{dH(\lambda)}{d\lambda} \bigg | \psi_\lambda \bigg \rangle. \end{align} </math>
ここで、|ψλ>の規格化を<ψλ|ψλ>= 1 と選んであるので、d<ψλ|ψλ>/dλ=0である。よって、
- <math> { d E (\lambda) \over { d \lambda } } = \left \langle \psi_\lambda \left | {d H(\lambda) \over {d \lambda} } \right | \psi_\lambda \right \rangle </math>
が得られる。
応用
分子内力と静電定理
定理の応用の1つとして、テンプレート:仮リンク(intramolecular force)の計算がある[7]。ファインマンは1939年の「分子内の力(Forces in Molecules)」と題する論文の中で、ヘルマン-ファインマンの定理の証明を与えるとともに、分子や固体原子において、原子核に働く量子論的な力は、電子雲と他の原子核からの古典的な静電力として扱えることを示した[4][8]。
電子及び位置が固定された原子核からなる系において、ポテンシャルV を原子核の位置座標で微分したものは、原子核に働く力に相当する。例えば、電子の位置をri=(xi, yi, zi)(i=1,…,n)とし、原子核の位置をRα=(Xα, Yα, Zα)(α=1,…,m)とする。このとき、 系のハミルトニアンH はボルン-オッペンハイマー近似により、運動エネルギー
- <math>
T=\sum_{i=1}^n -\frac{\hbar^2}{2m} \nabla_i^2 </math>
- <math>
\begin{align} V &= \sum_{i>j} \frac{e^2}{|\mathbf{r}_i-\mathbf{r}_j|} +\sum_{\alpha > \beta} \frac{Z_{\alpha}Z_{\beta}e^2}{|\mathbf{R}_{\alpha}-\mathbf{R}_{\beta}|} +\sum_{i, \alpha}\frac{-Z_{\alpha}e^2}{|\mathbf{r}_i-\mathbf{R}_{\alpha}|} \\ &= \sum_{i>j} V_{ij}+\sum_{\alpha > \beta} V_{\alpha \beta}+\sum_{i, \alpha}V_{i\alpha} \end{align} </math>
の和T+V で表される。このとき、パラメータλとして、原子核の位置座標Rαをとったときに、その導関数
- <math>
\mathbf{F}_{\alpha}= -\frac{\partial V}{\partial \mathbf{\lambda}}= -\frac{\partial H}{\partial \mathbf{\lambda}} </math>
で定義されるFα=(FαX, FαY, FαZ)が、古典論では原子核に働く力となる。一方、量子論では、Hλ|ψλ>=E(λ)|ψλ>を満たす固有状態|ψλ>により、
- <math>
\begin{align} \mathbf{F}_{\alpha} &= - \langle \psi_{\mathbf{\lambda}}|\frac{\partial H}{\partial \mathbf{\lambda}}|\psi_{\mathbf{\lambda}} \rangle \\ &= - \int \psi^* (\mathbf{q}_1, \cdots, \mathbf{q}_n) \frac{\partial H}{\partial \mathbf{\lambda} } \psi(\mathbf{q}_1, \cdots, \mathbf{q}_n) \, dV \end{align} </math>
が対応する。ここで2行目の波動関数ψにおける座標qiはi番目の電子の位置座標riとスピン座標ζiを合わせたものであり、 dV =dq1…dqnである。ファインマンの論文以前は、分子の量子力学では、これを
- <math>
\mathbf{F'}_{\alpha}=- \frac{d E(\mathbf{\lambda})}{d \mathbf{\lambda}} </math>
とエネルギー固有値の微分で計算するのが、一般的であった。ファインマンはヘルマン-ファインマンの定理によって、FαとFα'が等しいことを示した。
実際の計算において、微分係数dE(λ)/dλで与えられるFα'を求めるには、エネルギー固有値のパラメータλ=Rαについての依存性の傾きを計算することになり、複数のパラメータ値に対して固有値問題を解く必要がある。一方、直接的に<ψλ|dH/dλ|ψλ>で与えられるFαでは、計算の労力を減らすことができる。
Fαの具体形については、波動関数による存在確率から定まる各電子の電荷密度
- <math>
\rho_i(\mathbf{r}_i) = e \int | \psi(\mathbf{q}_1, \cdots, \mathbf{q}_n)|^2 d\mathbf{q}_1 \cdots d\mathbf{q}_{i-1} d \zeta_i d\mathbf{q}_{i+1} \cdots d\mathbf{q}_n </math>
の和として、全電子の電荷密度ρ(r)を、
- <math>
\rho(\mathbf{r})=\sum_{i=1}^n \rho_i(\mathbf{r}) </math>
で導入すれば[9]、
- <math>
\mathbf{F}_{\alpha}= Z_{\alpha}e \int \rho(\mathbf{r})
\frac{\mathbf{R}_{\alpha}-\mathbf{r}}{|\mathbf{R}_{\alpha}-\mathbf{r}|^3}d^3 \mathbf{r} - Z_{\alpha} e \sum_{\beta(\neq \alpha)} Z_{\beta}e \frac{\mathbf{R}_{\alpha}-\mathbf{R}_{\beta}}{|\mathbf{R}_{\alpha}-\mathbf{R}_{\beta}|^3}
</math>
と書き表すことができる。第1項は電子の電荷密度と電子による電場の積であり、第2項は電荷Zβeを持つほかの原子核による電場の効果である。この結果を静電定理(electrostatic theorem)と呼ぶ。
脚注
参考文献
- Richard M. Martin, Electronic Structure: Basic Theory and Practical Methods, Cambridge University Press (2004) ISBN 978-0521782852 ;R. M. マーチン (著)、寺倉清之、寺倉郁子、善甫康成(翻訳) 『物質の電子状態 上』 : シュプリンガー・ジャパン株式会社