ヘルマン・バール
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テンプレート:Portal ヘルマン・バール(Hermann Bahr, 1863年7月19日 - 1934年1月15日)は、オーストリアの作家。ユダヤ系。ウィーン世紀末文化を代表する青年ウィーン(Jung Wien)の一員。1892年、ベルリンからウィーンに移り、以後、ウィーンを拠点に活動した。
極めて時代の潮流に敏感で、1889年『Freie Bühne』(自由な舞台)誌の創刊に参加。以来、自然主義・印象主義・表現主義などあらゆる新たな運動の先頭に立ち、評論・劇作に華やかな活動を示した。1890年『現代文学』、1891年『自然主義の克服』、1894年『反ユダヤ主義』をそれぞれ刊行している。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、オーストリアの演劇は、のちに「ウィーン派」とよばれた作家たちによって新たな飛躍を遂げたが、そのグループの中核をなしたのがヘルマン・バールであった。かれは、多くの風俗劇のなかに鋭さと才知をこめて当時のウィーンの雰囲気を描いた。同じころ、詩作の面でも伝統的なものとの絆を保持しながらも新しい芸術の形式を生み出そうという気運のもとで「ウィーン詩派」がかたちづくられたが、その中心人物でもあり、ホフマンスタールやリヒャルト・ベーア=ホフマンに多大な影響を与えた。
のちオーストリアの伝統的カトリック文化に傾倒した。
主な作品
- 1900年 Das Konzert (喜劇)
- 1901年 Der Krampus (喜劇)
- 1916年 Himmelfahrt (小説)
- 1890年-1897年 Zur Kritik der Moderne (評論)