ブラム・ストーカー
ブラム・ストーカー(Abraham "Bram" Stoker、本名:エイブラハム・ストーカー、1847年11月8日 - 1912年4月20日)はイギリス時代のアイルランド人の小説家。怪奇小説の古典、『ドラキュラ』で有名。『ドラキュラ』は吸血鬼ものの定番となった。
略伝
1847年11月8日、グレートブリテン及びアイルランド連合王国のアイルランド・ダブリンでアイルランド政庁の公務員である父母の3人目として生まれた。6人の兄弟がいる。病弱で7歳まで歩けなかった。16歳、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに入学。オスカー・ワイルドと知り合いで、クリスマスにワイルドの両親に招かれた事もある(後にワイルドの恋人だった女優のフローレンス・アン・レモン・バルコムと結婚する)。
劇に興味を持ち劇評を書いたりしてヘンリー・アーヴィングに知り合う。大学卒業後政庁に就職も文筆活動は継続。カレッジの先輩シェリダン・レ・ファニュの女吸血鬼小説『カーミラ』を読む。30歳、アーヴィング劇団の秘書になった。アーヴィングのライシーアム劇場のビーフ・ステーキ・クラブの運営も手伝う。
43歳、アーヴィングの家でハンガリーのブダペスト大学の東洋言語学教授アルミニウス・ヴァーンベーリに出会う。ある図書館で『ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語』に「串刺し公」ヴラド・ツェペシュの記述をみつけた。1897年に『ドラキュラ』を出版。ただちにアーヴィングが演劇化したこともあり、この小説はよく売れた。その収入はアーヴィングの死後、ライシーアム劇場が焼失した際の処分の為の費用に使われたという。1912年4月20日死去。64歳没。
子孫
甥の孫にあたるデイカー・ストーカーは、『新ドラキュラ』を発表[1]。
作品リスト
- ドラキュラ
- ドラキュラの客 ⇒ 映画『女ドラキュラ』( 原題:Dracula's Daughter ) (1936)
- 判事の家
- 牝猫
- 金髪
- 蛇の道
- 日没の下
- ヘンリー・アーヴィングの思い出
関連書
- 桂千穂 訳『ドラキュラの客』 国書刊行会
脚注
関連項目
テンプレート:Wikisource author テンプレート:Sister テンプレート:Sister
- ブラム・ストーカー賞:アメリカ・ホラー作家協会が選ぶ、その年にもっとも大きな業績を残したホラー小説に与えられる賞