フィアット レベリM1914重機関銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox

フィアット レベリM1914重機関銃(フィアット レベリM1914じゅうきかんじゅう)は、1914年イタリア陸軍で採用された重機関銃である。

開発経緯

イタリア銃器設計家ベッテロ・レベリは、ペリノM1906機関銃を独自に改良することにより1908年から機関銃の試作に取り掛かり、1910年に試作銃の開発に成功する。レベリは第一次世界大戦の開戦に乗ってこれをイタリア軍に売り込み、当時の陸軍参謀総長ルイージ・カドルナの裁定により、採用が決定された。

決して優秀とは言えないレベリの銃が採用されたのは、マキシムオチキス特許を侵害せずロイヤルティーを国外に払う必要がなかったこと、既に大戦が勃発してしまっておりヨーロッパのどの国からも機関銃を買うことができなかったので国産にせざるを得なかったこと、そしてイタリア軍は当時ほとんど機関銃を保有していなかったにもかかわらず西部戦線では機関銃が猛威を振るっており、参戦を予定していた軍としては急いで機関銃を整備する必要性に駆られていたことなどが挙げられる。

フィアット レベリM1914重機関銃の登場

新型機関銃の設計図はフィアット社に譲渡され、フィアット レベリM1914重機関銃としてイタリア軍に制式採用された。レベリM1914はイタリアで初めて量産された機関銃である。

一見したところイギリスのマキシム機関銃やヴィッカース機関銃によく似ているが、レベリM1914はそれらの機関銃とは全く別の機構で作られている。レベリM1914の特徴としては、作動方式に銃身後退を伴う遅延式のブローバック機構を使用し、給弾については機関部左側面に設けられた装填架にカルカノM1891小銃の5発入りクリップを10個並べ装填する(後に20個に変更)という珍しい方式を採用している。

新機能として採用したこの装弾方式であるがこの複雑な装填方式は機関部に無理がかかり、盛んに装弾不良を起こした。のちに機関部の横に装弾不良を防ぐ目的として弾薬に油を吹き付ける油タンクが装着されたが結局解決はしなかった。また砂漠での戦闘が多かったイタリア軍にとってこの塗油機能は逆に砂やホコリを集めるだけの機能でしかなかった。また射撃の際にはむき出しのコッキングハンドルが激しく後退・前進を繰り返すため、射手の負傷につながるおそれがあった。銃身の冷却には水冷式を採用、毎分400~500発の弾丸を発射することができた。有効射程は約1500m。

その後

フィアット レベリM1914重機関銃は1914年~1918年まで生産された。

また派生型として一部のレベリM1914は1915年航空機銃として改造され使用されたが、曳光弾が撃てないこと、威力不足、作動不良などの理由で1917年にはヴィッカース機関銃とルイス機関銃に更新されている。戦車の搭載火器としても使用され、イタリア軍のL3軽戦車L5軽戦車の初期生産型に搭載されたこともあった。

イタリア最初の国産機関銃として広範囲に使われたとはいえ、フィアット社は装弾不良に泣いたレベリM1914に対し早々に見切りをつけており、1930年代に入ってからは軍の求めに応じて後継銃としてフィアット レベリM1935重機関銃を開発している。しかし生産量の少なさから最後まで全部隊に行き渡ることはなく、レベリM1914自体は第二次世界大戦終結まで使用された。