ビモータ
ビモータ(Bimota S.p.a.)はイタリアのオートバイ製造販売会社である。
目次
歴史
タンブリーニ時代 - 空調設備からオートバイ製造へ
ヴァレリオ・ビアンキ(Valerio Bianchi)、ジュゼッペ・モーリ(Giuseppe Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Massimo Tamburini)の3人によって、当初は空調設備の会社として1966年にリミニにて設立された。会社名の由来は、3人の姓の綴りから最初の2文字ずつを組み合わせたもの(BI-MO-TA)であった。創立者の一人であり根っからのオートバイマニアであったタンブリーニの趣味がきっかけで、会社の事業としてもオートバイに関わるようになった。
タンブリーニは空調設備の仕事でも馴染んでいたパイプ加工の技術を活かし、1972年に趣味のオートバイレースで大破した自らのホンダ・ドリームCB750FOURをフレームから作り直した。これが後のHB1の原型であり、ビモータの第1号車でもあった。この車両が評判になり、1973年にビモータ・メカニカとしてフレーム・ビルダーの業務を本業とは別に開始した。なお、この頃には創業者の1人であったビアンキは既に会社を去っていた。
最初期の業務は主に日本車向けのスペシャルパーツの製造販売やレース用フレームの製作供給であり、パトンやモルビデリ、ハーレーダビッドソン(アエルマッキ)などのレースチームがビモータ製フレームを使った。ビモータのフレームを採用したレースチームが活躍し、1980年にはヤマハ市販レーサーTZ350のエンジンを搭載したYB3が世界GPの350ccクラスで優勝したことでその名を広め、本格的に市販車を発売する頃には空調設備の業務をやめて完全にオートバイ製造会社へ転向した。
この時代のビモータのフレームは、鋼管製が主で、ドライブスプロケット軸とスイングアームピボットを同一線上に配置する「コアキシャル・スイングアーム」(同軸ピボット・スイングアーム)や、ヘッドパイプを車体後ろ側からだけでなく前後左右から支持するといった、独自の発想による特徴的な構造を採用していることが多い。
マルティーニ時代 - 黄金期
1983年にタンブリーニが会社を去ると、ドゥカティから移籍してきたフェデリコ・マルティーニ(Federico Martini)がチーフエンジニアとなった。同年のミラノショーではハブセンター・ステアリングなどを採用した革新的な試作車テージを出品するが、これが市販間近との誤解を生んで既存車種の買い控えが起こり、結果として1984年にビモータはイタリア政府の管理下に置かれるほどの経営危機を迎えた。だが1985年にドゥカティからのエンジン供給を受け開発されたDB1を発売すると高い評価を受け、経営危機を脱するのに充分な収益を上げることになった。
1986年末にヤマハとのエンジン供給契約がまとまると、1987年には従来のビモータにはなかったアルミニウム合金製ツインスパーフレームにFZ750のエンジンを搭載したYB4RでTT-F1世界選手権に初参戦し、バージニオ・フェラーリが3勝してタイトルを獲得した。さらに、この車両を基にした公道用市販車YB4E.I.を1988年に発売した。折からのレーサーレプリカブームやプラザ合意以後の円高政策も追い風となり、YB4やDB1の日本での販売台数が他国に比べて飛躍的に伸びる結果となった。
マルコーニ時代 - 倒産
1989年にマルティーニはジレラに移籍し、ピエルルイジ・マルコーニ(Pierluigi Marconi)がチーフエンジニアとなった。1990年には、マルコーニが学生時代から関わっていたテージの公道用市販車版であるテージ1Dをコローニェショーで発表して技術的に注目され、マルティーニ時代からのDBシリーズやYBシリーズを着実に育てあげるなど、精力的に活動した。しかし一方で、1993年には創業者で最後まで残っていたモーリが去り、テージ1Dが商業的な成功を収めないまま1994年に生産終了すると、その頃を転機に、ビモータの経営方針に変化が訪れた。
モーリが去った後の新経営陣は、高品質ながら少数生産というそれまでの方針を改め、商業的成功を目標に生産数増加を目指し、それまでのビモータとは違った路線の車種も充実させるようになった。従来通りの路線では、ヤマハとのエンジン供給契約が切れた後に、スズキとの協力関係のもとでSB6を発売し、単一車種としてはビモータ最多の販売台数を記録し、工場を拡張するほど販売が好調であった。新たな路線としては、当時人気が出始めた大型ネイキッドとしてDB3マントラを発売し、以前は参入を否定していたシングルスポーツのジャンルにもBB1スーパーモノを投入した。だがSB6とは違い、DB3とBB1は商業的には成功せずに終わった。
また、テージ1Dなき後の技術と独自性を象徴するものとして、ビモータは1996年コローニェショーにて500Vデュエを発表し、翌1997年に発売した。ビモータ初の自社開発エンジンとなる500cc2ストロークV型2気筒を搭載して「全ビモータ製」を謳った500Vデュエは予約が殺到するほどの前評判だった。しかし、実際に発売されるとシリンダー内直噴インジェクションの技術的問題が表面化して商業的な失敗を招き、ビモータは大きな負債を抱えた。この失敗で1998年には工場はほとんど稼動しない状態に陥り、この時期にマルコーニを含めた多くのスタッフがビモータを去った。
1999年に、ラベルダを復活させた実績を持つフランチェスコ・トニョン(Francesco Tognon)のもとで生産を再開し、マルコーニが残したSB8Rの販売で復活を目指した。2000年には、リーバイスがスポンサーとなって、SB8Rのホモロゲーション車種であるSB8Kで世界スーパーバイク選手権に参戦し[1]、アンソニー・ゴバートのライディングにより出場2戦目で早くも優勝しその技術力の高さを見せつけたが、リーバイスがシーズン途中で撤退してしまいチームは空中分解した。市販車のSB8Rも商業的な成功には繋がらず、会社は倒産に至った。
ロビアーノ時代 - 復活
2003年に、イタリアの資産家ロベルト・コミーニ(Roberto Comini)が以前の本社や工場を丸ごと買い取り、企業活動を再開した。マルコーニの下で働き、Vデュエのデザインなども担当したセルジオ・ロビアーノ(Sergio Robbiano)がチーフデザイナーとなった。2004年には既存のSB8の部品を基に新たなSB8Kの派生版を生産開始し、2005年にはロビアーノのデザインによるDB5と、ビモータ初のOEM車となるテージ2Dを発売した。DB5にはクロモリ鋼管製トラス構造に、アルミニウム合金を削り出したピボットプレートなどと組み合わせた複合型フレームを採用した。従来のビモータの印象を受け継ぎながら新たな意匠をつくりだしている。また、マルコーニ時代後半のように大量生産を目指さず、少数生産で高品質に力を入れるという初期のビモータに通じたものづくりも、新生ビモータの特徴となっている。
2006年にはDB5をネイキッド化したDB6デリリオと、OEMでなく自社開発となるテージ3Dを発表した。2008年にはテージ1D以来のドゥカティ製水冷エンジンを搭載したDB7を発売した。
製品の特徴
主に、大手メーカーのエンジンを自社製のフレームに搭載するという方法で製作したオートバイを発売する。更にはそれらの車両を使用してレースにも参加していたこともある。テンプレート:要出典範囲
初期のビモータのオートバイは、大手メーカーから完成車を購入しエンジンだけを取り外して使用していたので高価だった。[2]テンプレート:要出典範囲また強度があり軽量ではあるが製作に手間がかかるフレーム形式や、FRP製カウルなどの高級な部品を採用していたのも高価になる理由だった。しかし当時そのような仕様のオートバイを市販するメーカーは少なく、ビモータの製品を支持する購買層は存在した。
その後1983年頃から大手メーカーからエンジン単体の供給を受けられるようになったが、凝った車体のつくりもあってビモータの製作販売するオートバイは他に比べて高価であり続けている。車両そのものの高評価も手伝って生産数も増えたが、テンプレート:要出典範囲など依然少量生産である。
ビモータの製作する車種の名前は、原則的に2文字のアルファベットとそれに続く数字からなる。最初のアルファベットがどのメーカーのエンジンを使ったかを表し、次にビモータを表すBの文字が続き、それに続く数字がそのメーカーのエンジンを使って作られた車種の何番目かを表す。以下は公道用として市販された車種について主に述べる。なお、車種名の後に記した括弧内の年数は、生産時期を表す。
HBシリーズ
ホンダ製エンジンを搭載している。HB4を除いてフレームは鋼管製。
- HB1(1975年-1976年)
- CB750K0のエンジンを搭載。フレームは、エンジンを強度メンバーの一部に使う鋼管ダブルオープンクレードル(ダイヤモンド)。パーツで購入し自分で組み立てるキットであったが初期には10台が完成車として販売された[3]。キット販売が主体であったことを除いても、フレームに車台番号の打刻がないなど、厳密には公道用市販車ではなくレーサー前提の仕様であり、公道走行のための登録は難しい。
- HB2(1982年-1983年)
- CB900Fのエンジンを搭載。フレームは、ヘッドパイプを前後左右から支持するKB2の構造を簡略化して継承しながら、スイングアームピボット部分はアルミニウム削り出し部品をボルト締結する方式で、SB2やKB2などで採用した同軸ピボットは採用しない。なおこのフレームは、HB3、SB4、SB5、YB5にも流用された。
- HB3(1983年-1985年)
- HB2のフレームに、CB1100Fのエンジンを搭載。ハーフカウル仕様のHB3とフルカウル仕様のHB3Sがあった。
- HB4(2010年) - ロードレース世界選手権Moto2クラス用の競技専用車。同クラスで使用が義務付けられている600ccエンジン(CBR600RRのものがベース)を搭載[4]。HBシリーズとしては25年ぶりのニューモデルであり、公道用市販車モデルの発売も予想されている[5]。
SBシリーズ
スズキ製エンジンを搭載している。フレームは当初鋼管製であったがSB6とSB7では以降はアルミニウム合金製ツインスパー、SB8ではアルミニウム合金製ツインスパーながら部分的にCFRPを使う複合型となった。
- SB1(1977年発表)
- GP500用レーサーで、スズキ市販レーサーTR500マークⅡのエンジンを搭載。
- SB2(1977年-1980年)
- GS750のエンジンを搭載。HB1に続くビモータ2作目であり、公道走行可能な完成車としてはビモータ初の車種でもある。ボルト締結による分割式メインフレームに、タンブリーニ時代の特徴の一つである「コアキシャル・スイングアーム」(同軸ピボット・スイングアーム)を採用した初の車種でもある。1977年から1979年まで生産された通常版のSB2の後に、エンジンやフレームに変更がないまま外装のみSB3のものを装着したSB2/80が、1979年から1980年まで生産された。
- SB3(1980年-1983年)
- SB2のものを小改良したフレームに、GS1000のエンジンを搭載。
- SB4(1983年-1984年)
- HB3の車体に、GSX1100のエンジンを搭載。ハーフカウル仕様のSB4の他に、フルカウル仕様のSB4Sがあった。
- SB5(1985年-1986年)
- HB2系のフレームにGS1100EFのエンジンを搭載。2人乗り可能なビモータはKB1のドイツ仕様車に次いで2番目。
- SB6(1994年-1998年)
- GSX-R1100(水冷)のエンジンを搭載。ヘッドパイプからスイングアームピボットまでを一直線に繋ぐ「ストレートラインコネクション」(SLC)あるいは「ダイレクトピボットフレーム」と呼ばれるアルミニウム合金製ツインスパーフレームが特徴となっている。1994年から1996年まで生産されたSB6の他に、ラムエア過給を採用して吸排気系を変更したSB6Rが1997年から1998年まで生産された。
- SB7(1994年-1995年)
- SB6のフレームを小改良したものにGSX-R750のエンジンを搭載。
- SB8(1998年-2000年)
- TL1000Rのエンジンを搭載。フレームは基本的にはアルミニウム合金製ツインスパーながら、スイングアームピボット部分にCFRPを使う複合型。1998年から2000年まで生産された基本車種のSB8Rの他に、スロットルボディを大径化して出力向上させたSB8Rスペシャルが同じく1998年から2000年まで生産、WSB参戦のためのホモロゲーション用車種であるSB8K(2000年-)、更に参戦車両のレプリカとしてSB8Kゴバート(Gobert、2004年-)とSB8Kサンタモニカ(Santa Monica、2004年-)がある。
KBシリーズ
カワサキ製エンジンを搭載している。フレームは鋼管製トラス構造。
- KB1(1978年-1982年)
- Z900またはZ1000のエンジンを搭載。タンブリーニ時代の車種としては生産時期が長く、生産年により前期、中期、後期の三つに大別される。また、フロントフォークやブレーキなどの足廻り部品をカワサキ純正品としたKB1と、マルゾッキ製フロントフォークやブレンボ製ブレーキ部品を採用したKB1Aという仕様違いもあり、更にレーサー仕様のフレームなどもあることからその種類はかなり多い。ドイツ仕様車は「2人乗りできる初めてのビモータ」であった。
- KB2(1981年-1984年)
- Z500GPやZ400GP系列のエンジンを搭載。ビモータとしては、初めて中型排気量で製作した車種であり、初めてメーカーからエンジン単体で供給してもらって製作した車種でもある[6]。基本となるKB2(500cc) の他に、550ccエンジンを搭載するKB2/Sや、600ccエンジンとケブラー製カウルを採用するKB2/TT、そして当時の輸入元である福田モーター商会が特注した日本仕様として、400ccエンジンを搭載するKB2Jがある。初期のビモータとしては珍しい中間排気量であるが、タンブリーニが非常に気に入っており、KB2の第1号車はタンブリーニスペシャルとして自身が所有しているという。
- KB3(1983年-1984年)
- HB3の車体に、KZ1000Jのエンジンを搭載。
DBシリーズ
ドゥカティ製エンジンを搭載している。フレームは当初鋼管トラス構造であったが、DB3以降はアルミニウム合金製楕円断面パイプのトラス構造になり、DB5以降ではアルミニウム合金製部品との複合型ながら主要部は再び鋼管トラス構造となっている。
- DB1(1985年-1986年)
- ドゥカティからエンジン単体を供給されてつくられた初めての車種。750F1のエンジンを搭載し、公道用市販車としては初の「純イタリア製ビモータ」となった。フルカバードスタイリングも高い評価を受けてベストセラーになった。750F1のエンジンをほぼそのまま搭載し69hpを発揮するDB1が1985年から1986年まで生産、カムやバルブの変更や高圧縮化、キャブレターの大径化などを施して88hpを発揮するDB1Sが1986年から1987年まで生産。更に、DB1最大の顧客であった日本市場からの要望を強く反映し、2-1式の集合マフラーや4ポットブレーキキャリパーなどを採用、DB1Sのエンジンを90hpまで出力向上させたDB1SRが1987年から1989年まで生産された。また日本専用仕様として、400F3のエンジンを搭載し55hpを発揮するDB1Jも1986年から1987年まで生産されている[7]。
- DB2(1993年-1998年)
- 900SSのエンジンをキャブレター仕様のまま搭載。フレームは鋼管トラス構造。DB1と同様、1993年から1995年まで生産された通常版のDB2の他に、日本向けに400SSのエンジンを搭載したDB2J(1994年-1995年)や、インジェクション化された高性能版であるDB2SR(1994年-1996年)が発売された。なお、DB2SR発売後にDB2はいったん生産終了したが、キャブレター仕様の再発売を望む声があがり、1997年から1998年までの短期間ながらDB2EFとして復活している。
- DB3マントラ(DB3 Mantra、1995年-1998年)
- 900SSのエンジンを搭載し、フレームがアルミニウム合金製楕円断面パイプのトラス構造となる。外観はフランス人デザイナーのサシャ・ラキク(Sacha Lakic)が担当。
- DB4(1999年-2000年)
- DB3と同じフレームとエンジンを使い、フルカウル仕様のスーパースポーツとした車種。カウルの装着以外ではマフラーがマントラの左右4本出しから右側2本出しへ変更されている。当初はキャブレター仕様だったが、翌年からインジェクション化され、ハーフカウル仕様やビポスト仕様も追加された。外観はセルジオ・ロビアーノが担当。
- DB5(2005年-)
- デザイナーはセルジオ・ロビアーノ。ロビアーノ時代の1作目となる車種。エンジンは1000DSを搭載、フレームは、スイングアームピボットなど一部にアルミニウム合金製削り出し部品を使用しながらも、鋼管トラス構造が復活。
- DB6デリリオ(Derilio、2006年-)
- DB5をカウル無しのネイキッド仕様としたもの。基本的構造はDB5を踏襲するが、カウルを取り去っただけの安易な派生版ではなく、ステップなどによる乗車姿勢の微調整も行ない、ブレーキディスクなどが専用仕様となったり、シートレールも2人乗りを考慮して鉄鋼製に変更されたりもしている。
- DB7(2008年-)
- 1098のエンジンを搭載。デザインはエンリコ・ボルゲザン(Enrico Borghesan)とアンドレア・アクアビーバ(Andrea Acquaviva)[8]。ドゥカティ製水冷4バルブエンジンを採用するのはテージ1D以来、DBシリーズとしては初となる。
YBシリーズ
ヤマハ製エンジンを搭載している。公道市販版YBのフレームは、YB5を除くと、すべてアルミニウム合金製ツインスパーである。
- YB4E.I.(1988年-1989年)
- ヤマハとのエンジン供給契約を適用して生産された初の公道用車種となる。FZ750のエンジンを搭載し、マニエッティ・マレリと共同開発のインジェクションシステムなどにより121馬力を発揮。通常版のYB4E.I.の他に、FRP製カウルを採用して軽量化したプロダクションレース仕様のYB4E.I.SPも少数ながら販売された。
- YB5(1987年-1988年)
- HB2系のフレームにFJ1200のエンジンを搭載。
- YB6(1988年-1990年)
- YB4の車体にFZR1000(2GH)のエンジンをキャブレター仕様のまま搭載している。1988年から1990年まで生産された通常版のYB6の他に、インジェクション化して出力を向上させたYB6トゥアタラ(Tuatara)が1989年から1990年まで、EXUP付きとなったFZR1000 (3GM) のエンジンを搭載したYB6 EXUPが1989年から1990年まで生産されている。
- YB7(1988年-1989年)
- YB4系を基にスイングアームピボット部分など小変更を施したフレームに、FZR400のエンジンを搭載。ブレーキディスクが小径化されたりしているが、その他の基本的な構造や装備はYB4系とほぼ同じである。
- YB8(1990年-1993年)
- YB4系のフレームにFZR1000(3GM)のエンジンを搭載。キャブレター仕様のYB8が1992年まで、フロントフォークや外装デザインが変更されたYB8Evoが1993年から1994年まで、インジェクション化して出力向上した高性能版YB8フラノ(Furano)が1992年から1993年まで生産された。
- YB9(1990年-1998年)
- YB7系のフレームに、FZR600のエンジンを搭載。当初YB9ベラリア(Bellaria)が1990年から1993年まで生産された。その後スイングアームピボット部分を鋳造に変更したフレームを使いスイングアームも軽量化したYB9SRが1994年から1996年まで生産、インジェクションやマフラーが変更されカウルの分割方式も変えられたYB9SRIが1996年から1998年まで生産された。
- YB10(1991年-1993年)
- イタリア語で10を表すディエチとも呼ばれた。YB8と同じFZR1000(3GM)のエンジンを搭載してフレームも同じだが、外装デザインと乗車姿勢が変更されている。1人乗り仕様の通常版YB10は1994まで生産、シートレールやシートカウルを新作して2人乗り仕様としたYB10ビポスト(Biposto)は1992年から1993年まで生産された。
- YB11(1996年-1998年)
- YZF1000Rサンダーエースのエンジンを搭載。中間排気量版であるYB7とYB9を除くとほぼ同じフレームを使い続けたYB系であったが、YB11で初めてフラッグシップ版のフレームにも改良が加えられ、剛性バランスが調整されている。
テージシリーズ
テージ(Tesi)とは、英語の「テーマ」(Theme)を意味するイタリア語である。このシリーズは車種名の命名法が特殊で、テージの後にこのシリーズの何代目の車種かを表す数字とエンジンメーカーを表すアルファベットが記される。フロントスイングアームとハブセンター・ステアリング機構を公道用量産市販車として初めて採用した。1985年3月に行われた東京モーターサイクルショーに展示された試作車「テージ」はホンダVF400のエンジンを使用しており、他にも数台つくられた試作車ではホンダ製やヤマハ製のエンジンが使われた。しかし最終的に市販車では一貫してドゥカティ製エンジンが採用されている。市販車に限れば、フレームは当初からアルミニウム合金製である。1Dまでのデザイン・エンジニアリングはPier Luigi Marconi。
- テージ1D(1990年-1994年)
- 最初に851のエンジンを搭載したテージ1D 851を発売、1991年まで127台生産される。その後に、851を904ccに拡大したエンジンを搭載するテージ1D 906を1991年-1992年に20台生産。それにショックアブソーバを変更改良した[9] テージ1D SRを1992年から1993年まで144台生産。また日本向け特別仕様として400SSのエンジンを搭載したテージ1D J 400を1992年から1993年まで50台生産。1993年にはbimota創立20周年として 外装やインジェクションを変更し、前後のスイングアームをアルミの削りだしで製作された[10]、テージ1D ES(Edizione Speciale)が50台生産された。1994年には最終版としてESのカラーリングをガンメタリック・グレイとした、テージ 1D EF(Edizione Finale)が25台生産された[11]EFのフレームナンバー01/25のみハーフカウルとなっている。ビモータ製とよく間違えられるのがテージ1Dフォルゴーレ・ビアンカ(Folgore Bianca) 。輸入代理店だったカロッツェリア・ジャパンが企画し、ホワイトハウスが制作した1Dのカウル改造バイク。最初のバージョンはシルバー・パール色で20台程が製作され、後に福田モーター商会により輸入された車両。グッドデザイン賞と中小企業庁長官特別賞(1991年)を受賞している。
- テージ2D(2005年-)
- 1000DSのエンジンを搭載。元々ビモータのエンジニアであったアスカニオ・ロドリゴ(Ascanio Rodorigo)が1D生産終了後も独自に改良を続け、ヴァイルス(Vyrus Divisione Motori)社から984 C3 2Vとして発売したものを、OEM車としてテージ2Dの名を冠したものである。
- テージ3D(2006年-)
- 1100DSのエンジンを搭載。テージ2Dを基にして、ビモータ独自に改良と開発を行なったもの。前後スイングアームが鋼管トラス構造となり、前側サスペンションユニットの位置変更もされている。当初は限定発売のテージ3Dコンセプトが発売され[12]、その後に一部パーツのプラスチック化・ブレーキ・クラッチに変更が加えられた普及版のテージ3Dノルマーレが発売されている。
BBシリーズ
BMWのエンジンを搭載している。フレームはアルミニウム合金製で、主要部分は楕円断面パイプのトラス風溶接構造。
- BB1スーパーモノ(1995年-1997年)
- F650系に採用されているロータックス製単気筒エンジンを搭載。燃料タンクが一般的な位置ではなくエンジン下側のアンダーカウル部分に配置されるのも特徴である。1995年から1996年まで生産された通常版のBB1スーパーモノの他に、1996年から1997年までは2人乗り仕様のBB1スーパーモノビポストも生産された。
Vデュエ
自社製エンジン、フレームはアルミニウム合金製で、主要部分は楕円断面パイプのトラス溶接構造。
- 500Vデュエ(500V-Due、1997年-生産終了時期は未発表)
- エンジンは自社開発の2ストローク500ccのV型2気筒を搭載。マルコーニ時代の車種であるが、デザインはセルジオ・ロビアーノが担当している。
脚注
参考文献
- 永山育生「bimotaの新たな胎動」『ライダースクラブ』1986年10月号(通巻100号)、枻出版社。
- 「ビモータ全作品の系譜とDB1」『バイカーズステーション』2005年1月号(通巻208号)、遊風社。
- 「美麗なるbimota、その初期作品を愛でる」『別冊モーターサイクリスト』2009年4月号(通巻376号)、八重洲出版。
- 「至極のbimota、第2世代の歩み」『別冊モーターサイクリスト』2009年7月号(通巻379号)、八重洲出版。
関連項目
- 福田モーター商会 - 過去および2011年から2014年まで日本での正規輸入元となっていた。
外部リンク
- 公式サイト(イタリア語、英語)
- モトコルセ - 2006年6月から2011年までと、2014年から再び日本での正規輸入元となっている。
- ↑ この時のゼッケンは、リーバイスの看板商品に因んでの「501」であった。
- ↑ 例えば、スズキ・GS750のエンジンを搭載したSB2の発売当時価格は193万円であった。これに対し、GS750の発売当時価格(1976年)が48万5千円であった。
- ↑ HB1の生産台数にはいくつかの説があり、総数は10台、完成車として販売されたのは1台のみで残りの9台はキット販売、更にその10台に最初のプロトも含めるとする資料もある。
- ↑ http://www.twowheelsblog.com/post/3702/bimota-hb4-live-at-motor-bike-expo
- ↑ http://www.motorcyclenews.com/MCN/News/newsresults/New-bikes/2010/january/jan1510-Bimota-Moto2-bike-may-form-basis-of-new-HB4-road-bike/?id=121510
- ↑ ただし、エンジン単体供給は1983年からであり、発売当初からではない。
- ↑ なおこのDB1Jは、初めての「日本中型二輪免許で乗れる初めてのビモータ」と紹介されることが多々あるが、KB2Jのほうが先である。
- ↑ ちなみに、アクアビーバは創業者の一人モーリの甥であるという。(Captainタケタヅの: DB7!より)
- ↑ 初期のSRはカウルにSRの文字が入るが906のままで、ショックアブソーバはマルゾッキである。後に輸入された車両はオーリンズのショックアブソーバになり、ショックのリンク機構も変更された。当時オプション販売(通称:Sキット)としてオーリンズのショックとリンク機構が存在した。後半に製造されたSRはフロントフェンダー・ミラー・カラーリングが変更された。
- ↑ 日本には正規輸入されていない。
- ↑ 当時、日本には3台が正規輸入された。
- ↑ テージ3Dコンセプトは世界限定29台という謳い文句であったが、その後北米で29台ほど販売されたテージ3Dコンセプトアメリカという仕様を含めると計60台弱となる。