ハバロフスク裁判
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ハバロフスク裁判(ハバロフスクさいばん)とは、第二次世界大戦後の1949年12月25日から12月30日にかけてソ連のハバロフスクの士官会館で6日間行われた旧日本軍に対する軍事裁判の通称。主にソ連への進攻計画としての関特演、日本の対ソ攻撃、731部隊などが裁かれた。また近年の研究では1949年12月3日付で出された判決に外務人民委員のヴャチェスラフ・モロトフが署名した資料が発見されている。
被告人
- 山田乙三(関東軍司令官・大将)
- 梶塚隆二(関東軍軍医部長・軍医中将)
- 高橋隆篤(関東軍獣医部長・獣医中将)
- 佐藤俊二(関東軍第5軍軍医部長・軍医少将)
- 川島清(第4部/細菌製造部部長・軍医少将)
- 柄沢十三夫(第4部細菌製造課課長・軍医少佐)
- 西俊英(教育部長兼孫呉支部長・軍医中佐)
- 尾上正男(731部隊海林/牡丹江支部長・軍医少佐)
- 平桜全作(100部隊研究員・獣医中尉)
- 三友一男(100部隊隊員・軍曹)
- 菊地則光(731部隊海林/牡丹江支部支部衛生兵・上等兵)
- 久留島祐司(731部隊林口支部衛生兵・実験手)
証人
- 古都良雄(731部隊元隊員)
- 堀田主計中尉(731部隊ハイラル支部)
- 佐々木幸助
- 橘武夫(チャムス憲兵隊長)
- 倉員悟(ハルビン憲兵隊)
- 畑木章
主任鑑定人
- ジューコフ・ヴェレジュニコフ(ソ連医学アカデミー副会長・細菌学教授)
判例および判決文決定人
- クルグロフ内相
- ゴルシェニン法相
- サフォノフ検事総長
判決
- 強制労働25年 - 山田・梶塚・高橋・川島
- 強制労働20年 - 柄沢・佐藤
- 強制労働18年 - 西
- 強制労働15年 - 三友
- 強制労働12年 - 尾上
- 強制労働10年 - 平桜
- 強制労働3年 - 久留島
- 強制労働2年 - 菊地
イワノボ将官収容所にて服役。菊地は1951年、久留島は1952年に釈放。その他の10年以上の刑を受けた者全員(病死した高橋と自殺した柄沢を除く)が、1956年の日ソ国交回復に伴って帰国している。
参考文献
- 『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』1950年(ソ連・ハバロフスクで発刊されたソ連文書)
- 高杉晋吾『日本医療の原罪—人体実験と戦争責任』1973年、亜紀書房
- 山田清三郎『細菌戦軍事裁判』1974年、東邦出版社
- 島村喬『三千人の人体実験—関東軍謎の細菌秘密兵器研究所』1976年、原書房
- 常石敬一『消えた細菌戦部隊』1981年
- ニコライ・イワノフ、ウラジスラフ・ボガチ共著、中西久仁子、鈴木啓介翻訳『恐怖の細菌戦—裁かれた関東軍第七三一部隊』1991年12月、恒文社、ISBN 4770407335
- 証言集(七三一研究会)『細菌戦部隊』1996年8月、晩聲社、ISBN 489188259X
- V・A・アルハンゲリスキー著、瀧澤一郎訳『プリンス近衞殺人事件』2000年12月、新潮社、ISBN 410540301X