ノルウェー君主一覧
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(ノルウェー王から転送)
ノルウェー君主一覧(ノルウェーくんしゅいちらん)では、過去にノルウェーを支配した君主を掲げる。
王位継承は、1990年の憲法改正より最長子相続制をとっている。
目次
ノルウェー王国(872年-1319年)
ユングリング家
- ハーラル1世(美髪王、872年-933年)
- エイリーク1世(血斧王、930年-934年)
- ホーコン1世(善王、934年-961年)
- ハーラル2世(灰衣王、961年-976年)
- ホーコン・シグルツソン(デンマークの臣下だが事実上の君主、976年-995年)
- オーラヴ1世(995年-1000年)
スキョル家
ユングリング家
スキョル家
ユングリング家
シュル家
- ハーラル3世(苛烈王、1046年-1066年)
- マグヌス2世(1066年-1069年)
- オーラヴ3世(平和王、平静王、1066年-1093年《1069年まで兄マグヌスと共同統治》)
- ホーコン・マグヌソン(1093年-1094年)
- マグヌス3世(裸足王、1093年-1103年《1094年まで従兄ホーコンと共同統治》)
- オーラヴ・マグヌソン(1103年-1115年)
- エイステイン1世(1103年-1123年)
- シグル1世(1110年-1130年《オーラヴ、エイステイン、シグルは生きている限り共同統治》)
- マグヌス4世(盲目王、1130年-1135年)
- ハーラル4世(1130年-1136年)
- シグル2世(1136年-1155年)
- エイステイン2世(1136年-1157年)
- インゲ1世(1136年-1161年)
- ホーコン2世(肩広王、1159年-1162年)
- マグヌス5世(1161年-1184年)
- スヴェレ(1177年-1202年)
- ホーコン3世(1202年-1204年)
- グットルム・シグルツソン(1204年)
- インゲ2世(1204年-1217年)
- ホーコン4世(1217年-1263年)
- マグヌス6世 (改法王、1257年-1280年《父ホーコンの存命中は共同統治》)
- エイリーク2世(1280年-1299年)
- ホーコン5世(1299年-1319年)
スウェーデン・ノルウェー連合(1319年 - 1380年)
デンマーク・ノルウェー連合(1380年 - 1814年)
カルマル同盟(1397年 - 1814年)
- エイリーク7世(エーリク・ア・ポンメルン、1388年 - 1442年) 兼デンマーク王、スウェーデン王
- クリストファ(クリストファ・ア・バイエルン、1442年 - 1448年) 兼デンマーク王、スウェーデン王
- カール1世(カール・クヌートソン、1449年 – 1450年) 兼スウェーデン王
オルデンブルク朝
1450年以降、デンマークとの同君連合が継続した。
1523年、スウェーデンがカルマル同盟から離脱。
1536年からデンマークと合同。
- フレデリク2世(1559年 - 1588年)
- クリスチャン4世(1588年 - 1648年)
- フレデリク3世(1648年 - 1670年)
- クリスチャン5世(1670年 - 1699年)
- フレデリク4世(1699年 - 1730年)
- クリスチャン6世(1730年 - 1746年)
- フレデリク5世(1746年 - 1766年)
- クリスチャン7世(1766年 - 1808年)
- フレデリク6世(1808年 - 1814年)
エイツヴォル制憲会議(1814年)
ナポレオン戦争でのデンマークの敗北により、キール条約でスウェーデンがノルウェーの領有を認められたが、ノルウェーでは独立の気運が高まり、クリスチャン・フレデリクが国王に選出される。
- クリスチャン・フレデリク(1814年) のちのデンマーク王クリスチャン8世
スウェーデン・ノルウェー連合(1814年 - 1905年)
スウェーデンはノルウェーの独立を認めず、スウェーデン王太子カール・ヨハン(後のスウェーデン王カール14世ヨハン)によるノルウェー侵攻のすえ、クリスチャン・フレデリクが退位し、スウェーデンとの同君連合となった。
ホルシュタイン=ゴットルプ王朝
ベルナドッテ王朝
- カール3世ヨハン(1818年 - 1844年) スウェーデン王としてはカール14世ヨハン
- オスカル1世(1844年 - 1859年)
- カール4世(1859年 - 1872年) スウェーデン王としてはカール15世
- オスカル2世(1872年 - 1905年)
ノルウェー王国(1905年 - 現在)
ノルウェー議会はスウェーデンからの独立を決議し、オスカル2世の承認のもと分離独立した。