トラーパニ

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テンプレート:コムーネ トラーパニテンプレート:Lang-itテンプレート:IPA audio link)は、イタリア共和国シチリア島西部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約7万人の基礎自治体コムーネ)。トラーパニ県の県都である。

地中海に面した港湾都市であり、沖合のエーガディ諸島や地中海沿岸各地へ向かうフェリーが発着する玄関口である。コムーネ単体の人口はマルサーラに次いで県内2位であるが、エーリチェのカーサ・サンタ地区とも市街地が連続しており、都市圏人口は約10万人である。

名称

Trapaniテンプレート:IPA-it [1]と発音される。日本語文献では「トラーパニ」のほか、「トラパニ[2][3][4][5][6]とも表記される。

地理

位置・広がり

トラーパニ県北西部のコムーネで、地中海(ティレニア海)に面する。トラーパニの市街は、州都パレルモの西南西約75km、アグリジェントの北西約122km、チュニジアの首都チュニスの北東約247km、サルデーニャ島カリャリの南東約324kmに位置する。

コムーネの面積は 271.72 km2におよび、マツァーラ・デル・ヴァッロに次いで県内第2位の広さである。市域は、パチェーコを挟んで北と南の2つに分断されおり、トラーパニ市街のある北側の「本体」よりも、南側の飛び地の方が大きい。

隣接コムーネ

トラーパニ市街のある「本体」と隣接するコムーネは以下の通り。

南部の飛び地と隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

エリミ人(en:Elymians)が、近隣の都市エリュクスの港として町をつくった。港が鋭くカーブしている姿から、古代ギリシャ人からドレーパノン(Drépanon、鎌)と名付けられた。紀元前260年にカルタゴが町を掌握してから、重要な海軍港となった。しかし紀元前241年に第一次ポエニ戦争中のアエガテス諸島の戦いen:Battle of the Aegates Islands)で勝利したローマ帝国が獲得した。

第二次世界大戦中、連合国軍の爆撃で市は壊滅的な被害を受けた。戦後復興し、市街がサン・ジュリアーノ山の麓まで広がった。

行政

行政区画

トラーパニには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Marausa, Xitta, Palma, Fontanasalsa, Guarrato, Fulgatore, Salinagrande, Locogrande, Rilievo, Borgo Fazio, Ummari

社会

経済・産業

何世紀にも亘って、塩田や製塩産業が栄え、「塩の道」の途上にあることから、独特な文化や経済が生まれている。経済の大部分は今も海に依存している。漁業と、水産品の缶詰製造は重要な地元産業である。地元の猟師たちは、マッタンツァ(Mattanza)と呼ばれる独特の漁法でマグロ漁を行うことが知られている。サンゴは重要な輸出品で、大理石も同様である。トラパニ県は、世界でも有数のワインの産地である。

エーリチェ、セジェスタ遺跡、エーガディ諸島に近いため、観光が近年伸びてきている。

スポーツ

プロサッカークラブ「トラーパニ・カルチョ」のホームタウンである。トラーパニ・カルチョは、1905年に設立された、シチリアで最も古いサッカークラブのひとつで、2013-2014シーズンはセリエBに所属している。ホームスタジアムは、隣接するエーリチェ市域のスタディオ・ポリスポルティーボ・プロヴィンチアーレテンプレート:Enlink

交通

港湾

主要フェリー港であり、エーガディ諸島の他パンテッレリーア島サルデーニャ島チュニジアへの便がある。

空港

トラーパニ・ビルギ空港は、南のマルサーラとの境界付近に位置する。

このほか、市街東方には軍用のトラーパニ・ミロ飛行場テンプレート:Enlink、南方にボリッツォ飛行場(トラーパニ・キニザ空港)テンプレート:Enlinkが所在した。

姉妹都市

脚注

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外部リンク

テンプレート:Commons&cat

テンプレート:トラーパニ県
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