デルポイ
テンプレート:Infobox デルポイ(テンプレート:Lang-grc / Delphoi)は、古代ギリシアのポーキス地方にあった都市国家(ポリス)。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそ(中心)と信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていた。古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
日本語では「デルフォイ」「デルファイ」と表記されることも多い。英語表記(Delphi)や現代ギリシア語発音に基づく「デルフィ」も用いられる。遺跡の西にはデルフィの名を持つ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。
地理
デルポイはパルナッソス山の西南麓に位置し、ギリシャの首都アテネ(古名: アテナイ)から西北へ122kmの距離にある。ティーヴァ(古名: テーバイ)からは西北西へ約75km、スパルティ(古名: スパルタ)からは北へ約157kmである。
デルポイの遺跡は、アポローン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなる。神域に隣接して、有力な各諸都市の財産庫も築かれていた。デルポイのアポローン神殿の壁には1000を超すメッセージが記されている。奴隷の解放がその主な内容である。内容は条件付きであって部分的自由を得るだけのものであったといわれている。
デルポイの神託
デルポイはギリシア最古の神託所である。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、オイディプス伝説がある。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる[1][2]。
- γνῶθι σεαυτόν(gnōthi seauton) - 「汝自身を知れ」
- μηδὲν ἄγαν(mēden agan) - 「過剰の中の無」(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな)
- ἐγγύα πάρα δ᾽ ἄτη(engua para d' atē) - 「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)
神がかりになったデルポイの巫女(シビュッラ)によって謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には賄賂を使って、デルポイの神託を左右する一種の情報戦もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに財産庫を築いた。これは一種の大使館の役割を果たしたとも考えられる。
史実において有名なデルポイの神託には、ヘロドトスの『歴史』が伝えるアテナイへの二つの神託がある。ペルシア戦争時にアテナイは初め滅亡を暗示する神託を得たのち、再び使者を立て、以下の神託を得た。
これをアテナイ市街を焼き払って当時は木造の壁に守られていたアクロポリスに籠城すると解釈するものがあったが、テミストクレスは「木の壁」を船を指すものと解釈し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦にペルシア軍を破った。
またソクラテスの友人はデルポイで「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託を得てその哲学的探求を促した。この神託に疑問を持ったソクラテスは、当時知者とされた人々を訪ねて回った。その結果、「知っていると思っている」人ばかりがいることを見出し、真の知者はいないが「知らないと思っている」(無知の知)という点でわずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到ったと、プラトンの『ソクラテスの弁明』などの古代の証言は伝えている。
その後、ギリシアの政治的地位の低下と伝統的宗教の衰微とともに、キリスト教の隆盛を待たずしてデルポイの神託はその地位を失っていった。プルタルコスは、デルポイの神託について、その衰微を中心として数篇の著作を残している。
交通
- アテネより高速バスで3時間。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core
脚注
関連項目
- ↑ Plato, Charmides 164d-165a.
- ↑ http://polylogos.org/hs002.html