デマゴーグ
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デマゴーグ(テンプレート:Lang-de-short)は、古代ギリシアの煽動的民衆指導者のこと。古代ギリシア語では δημαγωγός (デマゴゴス)と言う。日本においては主に、意図的に虚偽の情報を流し、嘘をついて人を扇動しようとするさまを指してデマゴーグと批判として用いられる。
語源は「民衆 (δῆμος / dēmos) を導く (ἄγειν / agein)」であり、本来は民衆指導者を指すが、アテナイではペリクレスの死後、クレオンを初めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。このことから「デマゴーグ」は煽動政治家のような悪い意味で使われるようになった。また、彼らの民衆煽動はデマゴギー(テンプレート:Lang-de-short)と呼ばれ、煽動的な嘘や噂を意味する「デマ」の語源となった。
煽動政治家クレオン
クレオン(テンプレート:Lang-el-short)はアテナイの政治家である。典型的なデマゴーグとされ、好戦的な主張で民衆を煽動した。
ペロポネソス戦争中の紀元前429年に指導者ペリクレスが病死すると、弁論術を武器に民衆の人気を集めたクレオンらは、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張した。このため戦争は続行されたが、クレオンは紀元前422年に戦死した。彼の死の翌年にニキアスの和約が成り、平和が訪れるかに思えたが、後に遠征軍が悲劇的な末路を遂げたシケリア遠征を唱えたアルキビアデスによって戦争は再開された。アテナイは適切な指導者を欠いたため漸次敗北した。紀元前404年に降伏したアテナイはギリシアの覇権を失い、デロス同盟は解散し、全てを失った。
アリストパネスやトゥキディデスはクレオンを粗野な成り上がりのデマゴーグ、主戦論者として酷評している。