チェーザレ・ベッカリーア
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チェーザレ・ベッカリーア(Cesare Bonesana Beccaria、1738年3月15日 - 1794年11月28日)は、イタリアの法学者、経済学者、啓蒙思想家。
人物
ミラノの侯爵の家柄に生まれる。パルマのイエズス会寄宿学校に学んだ。そのころは数学と人間科学が彼の関心を占めていた。1762年〈ミラノ国の貨幣の混乱とその治癒策について〉という論考をルッカで出版し、著作家として頭角を現す。次いで友人たちと協力して『カフェ』と題する定期刊行物を編集し、イギリスの読者の注目を引くことができた。1768年からミラノ大学の法学と経済学教授となり、講義中にアダム・スミス、マルサスの経済理論に近い見解を示した。1790年にロンバルディアの民法・刑法改正委員会に所属する。
行政官としては穀物租税・貨幣改革・重量と尺度・人口表などについて報告し意見を提出している。二ヶ月で完成させた著『犯罪と刑罰』Dei delitti e delle pene (1764年)で拷問と死刑への反対論を主張し、教育により犯罪を防止すべきであると説き、ヴォルテールやロシア皇帝エカチェリーナ2世などに賞賛されている。社会政策の思想ではモンテスキューの流れを受け、ベンサムに影響を与えたと考えられる。哲学的な言語論と文体論である《Ricerce intorno alla natura dello stile、1770年》も有名。
日本における受容
『犯罪と刑罰』の最初の完全な邦訳は1929年に風早八十二の訳によって出版された。経済学の著書では『公共経済学の諸要素 Elementi di Economia Pubblica』(1806年)が1997年に邦訳されている。