タンマサート大学

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タンマサート大学
มหาวิทยาลัยธรรมศาสตร์
150px

モットー Be the finest, be fair, be the main engine of the society.
創立 1934年6月27日
学校種別 国立
学長 Suraphon Nitikraipoj(สุรพล นิติไกรพจน์)
所在地 タイ王国バンコクプラナコーン区タノン・プラチャン2
キャンパス
  • タープラチャン・キャンパス
  • ランシット・キャンパス
  • パタヤー・キャンパス
  • ラムパーン・キャンパス
学生寮
  • ターリンチャン寮(男女共用フロアー別/ジム併設)
  • トーンマハーメック女子寮
学部

14学部

  • 法学部
  • 商学・会計学部
  • 政治科学学部
  • 経済学部
  • 新聞・マスミュニケーション学部
  • 教養学部
  • 科学技術学部
  • 社会行政学部
  • 社会学・人類学部
  • 工学部
  • 薬学部
  • 応用保健学部
  • 歯学部
  • 看護学部
大学院
  • 会計学
  • ビジネス(博士もあり)
  • マーケティング
  • 経済学
  • 法学
  • 歴史学
  • 図書館学
  • マスコミ学
  • 政治科学
  • 社会福祉学
  • 社会学
  • 人類学
  • タイ学
  • 言語学
  • 産業組織心理学
  • 応用統計学
  • コミュニティ開発学
  • 英文学
研究所
  • タイ訴訟研究所(Thai Khadi Research Institute)
  • 人的資源研究所(Human Resources Institute
  • 教育開発情報処理研究所(Information Processing Institute for Education and Development)
  • 東アジア学研究所(Institute of East Asian Studies)
スクールカラー 黄色と赤
マスコット
ウェブ
サイト
http://www.tu.ac.th

タンマサート大学タマサート大学 มหาวิทยาลัยธรรมศาสตร์, Thammasat University)はタイにある大学

概要

ファイル:Dome of Thammasat University.jpg
プリーディー・パノムヨン像と時計台

旧称は มหาวิทยาลัยวิชาธรรมศาสตร์และการเมืองで日本語では法政大学と呼ばれていた。タイが王政から民主主義体制へと移行した2年後の1934年6月27日に法学者であり首相、元老などを務めたプリーディー・パノムヨンによって創設された。タイで最も歴史のあるチュラーロンコーン大学に次ぐ歴史を有する。国立大学で、王宮の近くに所在する。チュワン元首相をはじめとして各界の多くの著名人を輩出している。 

設立当初はタンマサート学士一コースで「タンマサート」の名前の通り、法学系の大学であり、法学部門ではタイ国内の権威とされている。また、政治科学人文学などの講義も行われている。文系の大学として知られていたが、1980年代以降、国内の経済発展により国内が慢性的な人材不足に陥ったため、タンマサート大学は理系のコースも設置するようになった。

人民党出身であり、自由タイメンバーも努めたプリーディーが設置したこともあり、ラーマ6世(ワチラーウット)によって設置された保守的なチュラーロンコーン大学に比べ、民主化思想の傾向を持つ大学であった。1947年移行の軍事政権下では反体制的運動の中心的存在となり、10月学生決起などを引き起こした。プリディーをはじめとして多くの大学関係者が海外へ亡命し、大学の財産は差し押さえられ、国立大学化させられた。 1962年文学部が設置されると、入学後一年間は一般教養科目の履修が必須となり、民主主義についても学ぶようになった。その結果、学生の多くがタイの社会問題を考えるようになり、農村などへ出かけて民主主義の啓蒙活動を行うようになった。こうしたことが積み重ねられ軍事独裁に反対する勢力が拡大していった。このような社会の動きが1973年10月14日、タマサート大学の学長サンヤー・タンマサックを首相に押し上げ、軍事政権から民主主義国家へと移行した。しかし、保守派と右翼が大学を中心とする改革派との対抗姿勢を強め、学生や改革派市民を右翼が継続的に襲撃し、1976年10月6日に頂点に達し、大学構内で多くの学生が銃撃され暴力を受け死亡した(タンマサート大学虐殺事件)。周りを警察や軍隊が取り巻いていた。タイはまた軍事政権に逆戻りするが、大学ではその後も民主主義運動が継続され、1988年に再度民主化を勝ち取った。その後も大学では、民主主義と言論の自由を重んじる校風が維持されており、伝統となっている。[1]

キャンパス

  • タープラチャン・キャンパス
    バンコク都プラナコーン区にあるキャンパスである。タープラチャンキャンパスの時計台はタンマサート大学のシンボル的存在となっている。民主運動の母体となったキャンパスであり、前述の十月学生決起の舞台でもある。
  • ランシット・キャンパス
    パトゥムターニー県にあるキャンパス。バンコクのターチン・キャンパスが手狭になったため開設されたキャンパスで、学士課程の生徒のためのキャンパスとなっている。

シンボル

  • スクールカラー: 黄色と赤(シー・ルワン・デーン)
    タンマサート大学グッズはこの二色で構成される。チュラロンコーン大学(スクールカラー:ピンク)との対抗試合など際にも用いられる。
  • 大学章 法輪:タンマ(法)を示す。
  • タープラチャンキャンパスの時計台の三角屋根(ドームと呼ばれる)
  • 獅子:タープラチャンキャンパスには、一体の獅子の像が川岸にある。この獅子はもともと、二対の獅子像として製作された。しかし、もう一体は輸送の途中、川の中に沈んでしまったそうで、結局一体しか祀ることができなかった。この獅子はいまも、川の中にあるもう一体といつか会えることを願っている。そのため、この獅子には恋愛成就のご利益があるとされている。

日本における協定校

著名な出身者

脚注

  1. 大島新人「タマサート大学」/綾部恒雄・林行夫編著『タイを知るための60章』明石書店 2003年 225-227ページ

参考文献

関連項目

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