ズラトコ・ザホヴィッチ
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ズラトコ・ザホヴィッチ(Zlatko Zahovič 、1971年2月1日 - )は、スロベニア・マリボル出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW・MF。息子のルカ(1995年生まれ)はスロベニアU-17代表のエースFWとして活躍する選手である。
経歴
1991年、パルチザン・ベオグラードでキャリアをスタート。ヴィトーリア・ギマランイス、FCポルト、オリンピアコスFC、バレンシアCFと国外のクラブを渡り歩き、その魔法の左足から数々の素晴らしいゴールを演出。悲願のスロベニアのワールドカップ初出場にも大きく貢献した。
しかし、その自由奔放な性格から、クラブや代表チームとの争いが絶えず、2002年の日韓W杯では初戦のスペイン戦で途中交代を命じられた事でスレチコ・カタネッツ監督の采配を批判し、第2戦を戦わずして強制帰国させられた。
2004-2005シーズン、監督の構想外により2001年より所属していたベンフィカをシーズン途中で退団。その後現役引退を表明した。
2007年夏、NKマリボルのスポーツディレクターに2年契約で就任したことが発表された。
所属クラブ
- テンプレート:Flagicon パルチザン・ベオグラード 1991-1993
- テンプレート:Flagicon ヴィトリア・ギマランイス 1993-1996
- テンプレート:Flagicon FCポルト 1996-1999
- テンプレート:Flagicon オリンピアコスFC 1999-2000
- テンプレート:Flagicon バレンシア 2000-2001
- テンプレート:Flagicon ベンフィカ 2001-2005