スヴェン1世 (デンマーク王)
スヴェン1世ハラルドソン(デンマーク語:Svend "Tveskæg"、ノルウェー語:Svein "Tjugeskjegg"、英語:Sweyn "Forkbeard"、 960年 - 1014年2月3日)は、“双叉髭王”(そうさひげおう)、“八字髭”(はちのじひげ)のあだ名をもつデーン人の王。デンマーク国王(在位985年 - 1014年)、ノルウェー国王(在位985年 - 995年、1000年 - 1014年)、イングランド国王(在位1013年 - 1014年)を兼ねた。
『ヘイムスクリングラ』によると、妻は、1人目はヴェンドの王ブリスラヴの娘、グンヒルド(en)。彼女の死後、スウェーデン王オーロフの母で、テンプレート:仮リンクの娘のシグリーズ(Sigrid Storråda)を2人目の妻に迎えた[1]。 なお、『テンプレート:仮リンク』によればグンヒルドとの間に生まれたのがクヌーズ1世である。また『ヘイムスクリングラ』によれば、娘のギュザ[2]ギューザ(とも。no)はノルウェーのエイリーク・ハーコナルソンの妻になった[3]。また、妹のテンプレート:仮リンク[2](タイア、チューリとも)はブリスラヴ王の妻となった後、異教徒であった王を嫌って逃れ、オーラヴ・トリグヴァソンの3番目の妻になった[4]。ほかに娘にエストリズがおり、デーンの伯ウルフと結婚し、息子はのちにスヴェン2世としてデンマーク王となりエストリズセン家を開いた。
スヴェン1世は父ハーラル1世“青歯王”の後を継ぎ、デンマークおよびノルウェーの王となった。しかしすぐにスウェーデンのテンプレート:仮リンク“勝利王”に敗れ、デンマークから追放された。エリク6世の死後スヴェン1世はデンマークへ戻った。
デンマークは980年代からイングランドを襲い、退去料としてテンプレート:仮リンクを徴収した。さらに994年にはノルウェーのオーラヴ・トリグヴァソンと共にロンドンやケントを襲撃した。しかし999年または1000年、スヴェンはスウェーデンのオーロフ、ノルウェーやヴェンドの軍と共に、テンプレート:仮リンクにおいてオーラヴ王を倒している。1002年に、エゼルレッド2世“無思慮王”がイングランド在住のデーン人を虐殺したため、翌年スヴェンは北欧各国より兵を集めてイングランドを攻撃し始める[5]。1013年にはエゼルレッド無思慮王を破ってイングランド王位についた[6]。
1014年、スヴェン1世は急死。デンマーク王位は息子ハーラル2世が、ノルウェー王位はオーラヴ2世“聖王”が継いだ。イングランドはエゼルレッド2世が復位したが、クヌーズ1世がそれを破って王位を継いだ。クヌーズ1世はのちにデンマーク王位とノルウェー王位も手に入れ、巨大な北海帝国を築き上げることになる。
脚注
参考文献
- 百瀬宏・熊野聰・村井誠人『北欧史』山川出版社〈新版世界各国史21〉、1998年、ISBN 978-4-634-41510-2。
- スノッリ・ストゥルルソン『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -(二)』谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社、2009年、ISBN 978-4-938409-04-3。
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