ジョージ川口
テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox Musician ジョージ川口(1927年6月15日 - 2003年11月1日)は日本のドラム奏者。本名川口譲二
人物
終戦時は陸軍少年航空兵として訓練を受けていた。ジャズ奏者の父親の影響で戦後から米軍クラブなどで演奏活動を始め1953年に松本英彦、中村八大、小野満と共にバンド「ビッグ4」を結成して活躍、1950年代に大衆的人気を誇った。
ジャズを広く普及させ、また多くの若手を育成した功績を評価され、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章などを受賞している。
他ジャンルとの競演もこなしており、和太鼓奏者の小口大八とのセッションは幾度と無く行われた。越路吹雪のバンド「ロイヤルポップスオーケストラ」のドラムとしても活躍。
豪放磊落な性格で幅広い世代から愛された人物である。
没後、自身のバンドであったニュービッグフォーは、息子の川口雷二が後を継いでいる。
ほら吹きジョージ
日本のジャズメンの中でも極め付きの「ほら吹き」として知られた。彼の奇想天外な虚言を真に受けたライターが、嘘をそのまま日本ジャズ史として記してしまった珍エピソードもある。
以下は「ほら吹きジョージ」の嘘の一例。
- 満州でソ連兵あいてのバンドでドラムをやるが、あまりに気に入られてソビエト本国に連れて行かれそうになったため、一升瓶の醤油を飲み仮病を装って諦めさせて、日本内地に引き上げた。
- 終戦直後の日本劇場(日劇)に出演した時、演奏に感激した地方の興行主が、出演依頼のため札束を荒縄で縛って持参した。
- 同じく終戦直後に横須賀の米軍キャンプで演奏し、ギャラとして駆逐艦を貰った(B-29をもらったが置き場所がないから飛行場に放置してある、というバージョンもある)。
- バディ・リッチ(アメリカを代表する有名ドラマー)とドラム合戦を演じて、完全勝利した。
- ポーカーで勝って芝公園を手に入れたが、翌日負けて手放した。
- 戦争中のベトナムに慰問に行き、休憩時間にアメリカ軍一個中隊の護衛付きでメコン川を泳いだ。また慰問ライブをしている最中にベトコンの襲撃を受け、メンバーが次々と撃たれる中、最後までドラムソロを止めなかった。脱出の際、ジェット戦闘機に乗り込んだが、パイロットが流れ弾を受け即死。自分が代わって運転し嘉手納基地まで戻り、その後アメリカ軍から勲章をもらった。
あまりにほら吹きが過ぎて、誤った経歴を紹介されることも度々だったが、1958年の松山市公民館で行なわれた白木秀雄とのドラム合戦の最中、会場で殺人事件が起きたというのは事実である。当時の地方興行は地元のやくざの一家が取り仕切るのが常識だったが、客の中に仕切りをしていた組と対立する組の人間が潜んでおり、コンサートを荒らそうと目論んでいた。ステージで演奏が始まると同時にその組員はステージに乗り込もうとしたが、警備をしていた組員らに囲まれ、あっという間に刺し殺されてしまった。しかし当の白木とジョージは勝負に熱中しており全く気付かなかった。これが俗にいう「ドラム殺人事件」である。
主な作品
- ジャズ・アット・ザ・トリス
- ON STAGE! BIG 4 PLUS 1
- オリジナル・ビッグ・フォア
- ジョージ・アンド・スリーピー
- CARAVAN
- ザ・ビッグ・フォー
- BLOW! BLOW! BIG 4
- スーパー・ドラムス
- THE DRUM BATTLE ~ ジョージ川口/ジミー竹内
- KILLER JOE ~ ジョージ川口&アート・ブレイキー
- LIONEL HAMPTON/ジョージ川口/BIG 2
- Collaboration/ジョージ川口/Meets Shelly Manne
- ジョージ川口・プレイズ・ハービー・ハンコック
- African Hot Dance
- ジョージ川口/ベスト
- Big Apple ~ ジョージ川口 New Big 4+1
主な出演作品
テレビ
- 第6話「ガラスの太鼓」(1965年)本人役
- 第40話「結婚と微笑」(1966年)
CM
ツムラ 活(1992年)