ジョン・ワトソン (レーサー)
テンプレート:Infobox ジョン・ワトソン(John Marshall Watson,MBE 1946年5月4日 - )は北アイルランド生まれの元F1レーサーである。
プロフィール
1973年、ブラバムからF1にデビュー。この年はわずか2レースに終わり、翌年からフル参戦を開始した。当時のチームは競争力が低く、中級チームで腕を磨くことに終始した。
1976年、ペンスキーのマシンを駆ってオーストリアGP(当時はエステルライヒリンク、後のA1リンク)で初優勝。このとき、トレードマークのひげをそるが、その後しばらく勝ちに見放されたこともあり、「ひげと一緒にツキもそった」と揶揄されてしまう。1977年、ブラバムに復帰。ポールポジションやファステストラップは記録したが、あと一歩で表彰台の頂点には立てなかった。
1979年、マクラーレンに移籍。この時期はチーム力が低下していたため成績が不振だったが、ロン・デニスが加入した1981年の第9戦、イギリスGP(シルバーストン)で5年ぶりの勝利をあげた。翌年の1982年が、彼のF1キャリアで最も輝かしい年である。この年は最初からチャンピオン争いに絡み、中盤までに2勝をあげトップに立ったが、終盤に6戦連続でノーポイントに終わったこともあり、結局この年1勝、前年ノーポイントのケケ・ロズベルグにチャンピオンをさらわれ、ワトソンは3位に終わった(2位のディディエ・ピローニとは39ポイントで並ぶが、上位入賞回数の差で負ける)。
1984年、アラン・プロストにシートを奪われる形でキャリアを終える。翌1985年に、元同僚ニキ・ラウダの代役として1戦限りの復帰を果たす。現在は解説者として活躍している。
ワトソンはいわゆる「玄人好み」のドライバーで、レース運びに長けていた。生涯5勝のうち3勝は、予選2ケタ着順からの巻き返しであり、特に1983年第2戦のアメリカ西GP(ロングビーチ)での予選22番手からの優勝は、2012年シーズン終了時でも優勝者の予選順位としては最も低いものである(このGPの2位は、予選23番手だった同僚のニキ・ラウダ。低い予選順位からの優勝の歴代2位は2000年ドイツGPのルーベンス・バリチェロの予選18番手)。また、中盤や下位グリッドから表彰台やポイントを何度も獲得するなど、巧さのあるドライバーならではの成績を残している。
カーナンバー(F1)
- 29(1973年第9戦)
- 9 (1973年第15戦)
- 28(1974年.1975年第14戦~1976年)
- 18(1975年第1~10.12戦)
- 6 (1975年第11戦)
- 7 (1977年.1979年~1982年第1~3.5~16戦.1983年)
- 2 (1978年)
- 1 (1985年第14戦) - 前年度チャンピオンであるラウダの代役として。2008年シーズン終了時現在、カーナンバー1が前年度チャンピオンの車両に与えられるようになった1975年以降のF1では、前年度チャンピオン以外がカーナンバー1を付けてレースに参加した唯一の例である。