ジャンニ・ヴェルサーチ
ジャンニ・ヴェルサーチ(テンプレート:Lang-it-short, 1946年12月2日 - 1997年7月15日)はイタリアのファッションデザイナー、写真家。ジャンフランコ・フェッレ (テンプレート:Lang-it-short) とジョルジオ・アルマーニ (テンプレート:Lang-it-short) とともに「ミラノの3G」と呼ばれた。彼のデザインは華やかで芸術的であり、数々の美術館で回顧展が開かれている。またスーパーモデルブームの火付け役として時代の大きな流れを牽引した。
生涯
ジャンニ・ヴェルサーチは1946年にイタリアのレッジョ・ディ・カラブリアで生まれた。母親がブティックを経営していたため、はやくからファッション業界に親しんでいた。いくつかのブランドで働いた後、1978年に独立してミラノに第1号店をオープンした。その後、パリ・コレでオートクテュールを手がけたり、舞台衣装の製作などにも携わり精力的に活動していたが、1997年7月15日にマイアミでゲイの高級男娼で連続殺人犯、アンドルー・クナナン(1969年 - 1997年)によって射殺されてしまった。クナナンは事件から1週間後の7月23日、警察の包囲下のなかで自殺した。クナナンは彼の恋人とうわさされたが、定かではない。
現在は妹のドナテッラ・ヴェルサーチェが引き継いでいる。
デザインの特徴
ジャンニ・ヴェルサーチのデザインは派手で官能的でかつとても現代的だが、ヨーロッパのデザイナーならではの古典的な物を非常にモダンな解釈で提案していた。バロック・ロココ・イタリアのルネサンスは繰り返しヴェルサーチのテーマになるが、そこにハリウッドやラスベガス、マイアミなどのセレブリティの様なコスチューム的な要素、ド派手さが加わり非常にモダンだ。 とにかくスターの様なドレスが多いが、コルセット的な上半身に薄くて軽い下半身のドレスや、バロックテイストのプリントで流れるようなドレスなど当時は非常に新鮮な要素だった。
ジャンニ・ヴェルサーチ殺害事件
1997年7月15日、マイアミ・ビーチにある別荘の入口で、アンドリュー・クナナン(Andrew Cunanan)によって射殺された。ジャンニは、歩いて5分ほどのニューズカフェでコーヒーを飲みながらイタリアの新聞を読むのをバカンス中の朝の日課にしており、その帰りだった。犯人のクナナンはフィリピン系の父とイタリア系の母を持つ28歳の男で、IQが147あり、7か国語を操る秀才だった。父は軍人で貧しいながらも、優秀な息子の将来を思って高い私立高校に通わせた。カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学したが、父親が転職先で失敗し家族を捨ててフィリピンに帰国してしまう。クナナンは父を追ったがフィリピンでの悲惨な暮らしぶりを見て絶望し、大学を中退、サンフランシスコの有名なゲイ・タウン、カストロ通りで金持ち相手に男娼を始める。話術に長け、好青年風のクナナンはカルフォルニアのゲイ・コミュニティで人気者になり、映画界やビジネス界のセレブたちとも交流があった。ジャンニとは、サンフランシスコのオペラのあとの社交パーティで、クナナンの当時の恋人だった弁護士を通じて知り合ったと言われている。ジャンニ殺害の数か月前に、三角関係のもつれから建築家と元海兵隊員をミネアポリスで殺害し逃走。警察に追われるなか、シカゴへ行き、当地の不動産王と言われていた70代の男性を暴行の末、喉をかき切って殺害し、金品を奪った。さらに逃走車両強奪の目的でニュージャージーで一人を射殺し、マイアミに逃げた。ジャンニを殺害した2週間後、警察に包囲されるなか、潜伏していたボートハウスで拳銃自殺した[1]。なお、ジャンニの別荘Casa Casuarina は死後売却され、通信会社社長が所有し、ホテルなどに使っていた[2]。その後1億2500万ドルで売りに出たが買い手がつかず、2013年現在1億ドルに値下げされている[3]。
脚注
- ↑ http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/mass/cunanan/index_1.html
- ↑ http://www.thevillabybartong.com
- ↑ $100 Million Mansion Attracting 'Serious Interest'WPC