サタディ・バチョン
テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 『サタディ・バチョン』は、ラジオ大阪で1974年10月12日~1991年9月に放送された深夜番組。メインパーソナリティは浜村淳。
放送時間
毎週土曜日 22:00 - 25:00(1974年10月12日 - 1977年4月2日) → 23:15 - 25:00(1977年4月9日 - 1978年6月24日) → 23:00 - 25:00(1977年7月8日 - 1987年) → 22:00 - 24:00(1987年 - 1990年3月) → 23:00 - 24:30(1990年4月 - 1991年9月)
出演者
- 横井くにえ(1974年10月12日 - 1976年12月11日。「ヒットでヒット バチョンといこう!」より引き続いて担当)
- 石川香代子(1976年12月25日 - 1977年4月30日)
- 木村寿恵(1977年5月7日 - 1981年3月)
- 生田陽子(1981年4月 - 1987年9月)
- 北村安湖(1987年10月 - 1989年9月)
- 生駒治美(1989年10月 - 1990年9月)
- 柳生美香(1990年10月 - 1991年9月)
放送内容
元々は深夜帯番組『なぐりこみ歌謡七人衆』の後継番組である『ヒットでヒット バチョンといこう!』(木曜日のメインパーソナルティは浜村淳で、初代アシスタントは小鹿ミキ)が母体だった。それが編成上の関係で打ち切られた後、前記の両番組で、パーソナリティの一人だった浜村淳のバチョン木曜が独立した形で『バチョンといこう!』終了の3か月後にスタートした。
番組進行は、まず映画の試写会招待を兼ねた新作映画の紹介からはじまる。その後、番組テーマ曲の『女が町にやってくる』(演奏:ホルストヤンコフスキー楽団)に乗せてタイトルコール。
番組本編は時事の話題が中心だが、他に『源氏物語』や『古事記』、リスナーから寄せられた怪談などをテーマにしたラジオドラマも放送、いずれも浜村自身が主演していた。
また、番組ではリスナーから寄せられたアニメソングのリクエストにも応えており、この番組はアニラジに分類される事がある。曲をかける際には、エアチェックするリスナーの便を計って「いちにのさん音楽スタート!」という掛け声をかけるのが恒例。
ただ、浜村にアニメの知識があるわけではないので、投稿されてきたネタで『月刊OUT』のウソ企画である「世界のアニメは今」というネタ(『バリバリ伝説』が、中国では自転車レースになっていたり、『蒼き流星SPTレイズナー』がソ連では赤になっていたり、アメリカでは『天才バカボン』が大人気で、若い女性の間では『フールボンズ・ファーザー』のファッションが流行、など)を真に受けて、本当のこととして放送したりしていた。
宝塚ファンからの葉書も多数よせられたが、浜村は、宝塚ファン向けの番組もあるだろうと、やんわりとそちらにさしむけた。
24:00には『午前零時のバチョンクイズ』というコーナーがあり、リスナーと電話をつないでのクイズを行っていた。問題は「今日これから掛かる曲は何でしょう?」で、不正解なら賞金は次回に持ち越す形式。回答者はそこそこ正解していた。
24:30頃には『思い出は映画と共に』のコーナーがある。このコーナーは、リスナーから寄せられた映画にまつわる思い出話をニニ・ロッソの「夜空のトランペット」をBGMにして、情感豊かに読み上げるというもの。
また、年二回、聴取率調査にあわせて、アニメソング ベストテン、漫画の本全巻プレゼントという行事も行っていた。アニメソング ベストテンは特撮ソング ベストテンも含めたことがあり、『ジャイアントロボ』のテーマが一位になったりした。
1991年9月、番組は終了した。
アシスタントの「ひさやん」の結婚、妊娠を浜村が知った回は、浜村も腹が立ったのか、ひさやんが放送中「痛い」と叫ぶこともあり、浜村がつねるか何かしていた。ひさやんの実家がとんぺいやきの製造発売元であることも、ネタとなった。