コマンドルスキー諸島

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ファイル:Commander Islands Map - Russian.png
西側はカムチャツカ半島、東側がコマンドルスキー諸島で2つのから成る。面積の大きな西側の島がベーリング島、東側の島がメードヌイ島

コマンドルスキー諸島(コマンドル諸島、テンプレート:Lang-ru-shortテンプレート:Lang-en-short)は、ロシア領で、ロシアカムチャツカ半島の東、そしてアメリカアリューシャン列島の西の端に位置する諸島である。

概説

コマンドルスキー諸島は、ベーリング島メードヌイ島の2つのから成る。最大の島がベーリング島である。

1943年、このコマンドルスキー諸島の南約160kmで、日本海軍アメリカ海軍との間で起きた『アッツ島沖海戦(コマンドルスキー諸島海戦)』でも知られる。

2つのの住民は、3分の1がアレウト人、3分の2がロシア人、最も大きな村はベーリング島の北部のニコルスコエ(Nikolskoye)である。(右地図参照)

アレウト人は、アリューシャン列島の先住民族である。

19世紀初めに、アリューシャン列島から、「ベーリング島」と「メードヌイ島」の2つの島にやって来た。

アトカ島アリューシャン列島西部)のアレウト人が「ベーリング島」へ、また、アッツ島(アリューシャン列島最西部)のアレウト人が「メードヌイ島」へ、それぞれ来て定住するようになった。

ファイル:Bering Island Aleuts.jpg
コマンドルスキー諸島で最大のであるベーリング島のハンター達
(c. 1884-1886 頃の撮影).
ファイル:USS Salt Lake City (CA-25) in action.jpg
第二次大戦時の1943年アッツ島
日本の軍艦から砲撃を受け、航行困難に陥ったアメリカの軍艦 Salt Lake City
アッツ島沖海戦(コマンドルスキー諸島海戦)』
ファイル:Txu-oclc-6654394-nn-58-3rd-ed.jpg
コマンドルスキー諸島の詳細地図