京福電気鉄道鋼索線
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(ケーブル比叡駅から転送)
|} 鋼索線(こうさくせん)は、京都府京都市左京区のケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅に至る京福電気鉄道のケーブルカー路線。
叡山ケーブル(えいざんケーブル)と通称されている。叡山電鉄叡山本線、叡山ロープウェイとともに京都市内から比叡山山頂へのルートを形成する。高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である。
路線データ
運行形態
平日は20分 - 30分間隔の運行で所要時間は9分。土曜日・休日および多客期には増便される。
1月1日から3日の正月三が日は延暦寺への初詣客のために特別運行するが、それ以外の冬期は2006年12月より叡山ロープウェイとともに運休するようになった(なお、2014年は保守工事を理由として正月の運行は行われなかった)。その期間内に鉄道系交通機関で比叡山を目指すには、大津側からのルートである通年営業の坂本ケーブルを利用することになる。
車両
旅客用はケ型2両 (1, 2) が在籍する。同形は1987年に武庫川車両工業で製造された。また、貨車としてケト101がある。
ケ型諸元
- 空車重量 11.24 t
- 定員 136人(座席定員34人・最大乗車人員137人)
- 最大寸法 長さ12000 mm・幅2780 mm・高さ3630 mm
過去の車両
- 1・2(初代)開業時に用意された車両は車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。3・4 の入線により予備車となり、後に改造されて 1・2(2代目)となった。
- 3・4 1・2(初代)と同じ車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。戦時中は荷物車に改造され機材撤去に使用されたが、その後は使用されなかった。
- 1・2(2代目)1・2(初代)の台車などを使用して製作。1955年廃車。
- 1・2(3代目)1955年日立製作所製
歴史
- 1922年(大正11年)11月8日 鉄道免許状下付(愛宕郡八瀬村字青良谷-同郡同村四明嶽間)[1]
- 1925年(大正14年)12月20日 京都電燈が叡山鋼索線として西塔橋(現在のケーブル八瀬) - 四明ヶ嶽(現在のケーブル比叡)間を開業[2]。
- 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道へ分離譲渡[3]。
- 1944年(昭和19年) 休止。
- 1946年(昭和21年) 運行再開。
- 1965年(昭和40年)8月1日 西塔橋駅をケーブル八瀬遊園駅に、四明ヶ嶽駅をケーブル比叡駅に改称。
- 2002年(平成14年)3月10日 ケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅に改称。
駅一覧
ケーブル八瀬駅 - ケーブル比叡駅
- Cable-Yase station.JPG
ケーブル八瀬駅
- Cable-Hiei station.JPG
ケーブル比叡駅
接続路線
脚注
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年11月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 2月10日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1942年2月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献
- 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』電気車研究会(平成18年度版)
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.125 - 歴史節
- 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 9号 関西2』新潮社、2009年、p.40 - 歴史節
- 藤原寛「京福電気鉄道」『私鉄車両めぐり特輯』第3輯、鉄道図書刊行会、1982年