ケタミン
ケタミン(Ketamine)はフェンサイクリジン系麻酔薬のひとつで、第一三共株式会社から塩酸塩としてケタラール®の名で販売されている医薬品。解離性麻酔薬(大脳皮質などを抑制し、大脳辺縁系に選択的作用を示す)のひとつ。静注用・筋注用として提供されている。日本では、2005年12月13日に厚生労働省から麻薬及び向精神薬取締法に基づく規則により麻薬指定が決定した。施行は2007年1月1日である。
主に、(人間用も含め)麻酔薬として使われ、特に獣医師や大型動物を実験に用いる研究機関の間では、「常備薬」になっている。
合成
1962年、アメリカ合衆国の製薬会社パーク・デービス社によって同社が開発した麻酔薬のフェンサイクリジン (PCP) の代用物として合成された[1]。
化学特性
(RS)-2-(2-クロロフェニル)-2-メチルアミノシクロヘキサノン 塩酸塩。化学式でC13H16ClNO・HClと表される。分子量は274.19。CAS登録番号は6740-88-1。
常温常圧においては固体で、白い粉末状の物質。融点は266度で、不燃性である。ギ酸に非常に解けやすく、水やメタノールにも解けやすい特性を示す。また、無水酢酸やジエチルエーテルには殆ど溶けない。pHは3.5~5.5で、水溶液は酸性。
作用と副作用
NMDA受容体拮抗薬であり、中枢神経系のシナプス後膜にあるNMDA受容体に選択的に働き、興奮性神経伝達をブロックする。
解離性麻酔薬の副作用として悪夢を引き起こすことが多いことが知られているが、呼吸抑制作用が弱く、患者は麻酔中でも自発呼吸を行うことが可能。ただし、大量では呼吸抑制が現れる。
ケタミンは血圧が下がらず、呼吸が止まりにくいという大きな利点があるうえ筋肉注射が可能であることから静脈注射がやりにくい動物用として重宝されてきた。また、この特性から麻酔銃の麻酔としても用いられてきた。 多くの麻酔薬が血圧を下げるのに対して、むしろ血圧を上げることが多いためプロポフォール・フェンタニルなどの血圧を下げる麻酔薬と併用することも多い。プロポフォール・ケタミン・フェンタニルを使用する場合PKF麻酔と呼ばれることもある。
ケタミンはNMDA受容体に対するアンタゴニストとして働くだけでなく、モノアミン輸送体を阻害する[2]ことによるカテコールアミン遊離作用があるため、交感神経を刺激し、気管支拡張作用・頻脈・昇圧作用を示す。そのため気管支喘息を持つ患者にも比較的安全に使用できるが、脳血管障害、虚血性心疾患、高血圧の患者にはあまり使用されない。 脳圧、眼圧を上昇させるため、脳外科の手術や緑内障患者には使用されにくい。 精神的な副作用や脳圧の上昇はベンゾジアゼピンの併用で少なくなるともいわれる。 気管支は拡張し呼吸抑制作用は少ないが分泌物が多くなるため注意が必要。
内臓に対する効果よりも体の浅層における麻酔効果が高く、麻酔から覚醒した後も鎮痛作用は持続している。 このため皮膚表面の手術に使用されることが多い。
即効性の抗うつ作用があり投与から2時間で効果が現われることが臨床試験で示された[3]。
ロシアの薬物乱用の専門治療を行う精神科医のエフゲニー・クルピツキーは20年間にわたり、麻酔薬のケタミンを幻覚剤として利用するアルコール依存症の治療を行ってきたが、111人の被験者のうち66%が少なくとも1年間禁酒を継続し、対象群では24%であった[4]などのいくつかの報告[5][6]がある。また、ケタミンはヘロインの依存症患者に対しても薬物の利用を中断する効果が見られた[7][8]。アヘンの禁断症状を減衰させるという報告もある[9]。
代謝による半減期はおよそ3時間。 持続投与された場合、蓄積はされにくいが、代謝産物にも作用がある。
不正に密輸入され若者の間での乱用(本来は主に動物病院での麻酔に使われる薬であるが、解離性麻酔薬であるため、ヒトがこの粉末を鼻孔吸入、もしくは経口摂取・静脈注射した場合、一種の臨死体験様作用が得られる)が問題となり、厚生労働省はケタミンを麻薬及び向精神薬取締法に基づく「麻薬」に指定することを決めた。この指定は、医療用等の用途に対する代換品移行措置期間も考慮し、施行は2007年1月1日となっている。 ワインドアップ現象を抑制するためニューロパシックペインなどの慢性疼痛の治療でその効果は見直されているが麻薬に指定されたことにより使用は制限されている。(海外では内服薬も使用されている) モルヒネの耐性形成を抑制し退薬発現を抑制することが報告されている。
代替品
代替薬の研究が行われ、代替品が使用されるようになってきているが、ケタミン以上に便利な薬品は見つかっていない。
日本では麻酔銃に必須だったケタミンが麻薬指定されたことにより、動物の保護の支障を来たしているが、 アメリカではスケジュールⅢであるため、獣医師や保護官などは麻薬免許無しでも取り扱えるため問題化していない。
野犬捕獲等の野外で使用される塩酸ケタミンの代替薬品の検討のための室内実験において塩酸ケタミンと塩酸メデトミジンの混合注射と同等の効果が塩酸キシラジン、塩酸メデトミジン、ミダゾラムの任意の2種類の組み合わせで得られたという報告がある[10]。
乱用した場合は臨死体験などの幻覚作用があり、悪夢を見るという副作用もある。LSDと同様、サイケデリック系の薬物として知られるため、一時期は「K」「スペシャルK」などという隠語で呼ばれトランス系の音楽を流すクラブで多く流通したこともある。だが、こちらの場合は本来の用途が麻酔薬であるためLSDとは反対に精神状態は沈静化するのでテンションを上げたい乱用者の間では不人気であった。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Asboxテンプレート:Vet-stub- ↑ レスター・グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』 杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。65頁。(原著 Psychedelic Drugs Reconsidered, 1979)
- ↑ M.Nishimura, K.Sato et al."Ketamine Inhibits Monoamine transporters expressed in Human Embryonic Kidney 293 cells" Anesthesiology 1998; 88:768-774 PMID 9523822
- ↑ Zarate CA Jr, Singh JB, Carlson PJ et al. "A randomized trial of an N-methyl-D-aspartate antagonist in treatment-resistant major depression" Arch Gen Psychiatry 63(8), 2006 Aug, pp856-64. PMID 16894061
- ↑ ジョン・ホーガン 『科学を捨て、神秘へと向かう理性』 竹内薫訳、徳間書店、2004年11月。ISBN 978-4198619503。210頁。(原著 Rational mysticism, 2003)
- ↑ E. M. Krupitsky et al. "The Combination of Psychedelic and Aversive Approaches in Alcoholism Treatment: The Affective Contra-Attribution Method" Alcoholism Treatment Quarterly 9(1), 1992
- ↑ E. M. Krupitsky et al. Ketamine Psychedelic Therapy (KPT): A Review of the Results of Ten Years of Research J Psychoactive Drugs. 1997 Apr-Jun;29(2), pp165-83. Review.
- ↑ Krupitsky EM, Burakov AM, Dunaevsky IV et al. "Single versus repeated sessions of ketamine-assisted psychotherapy for people with heroin dependence" J Psychoactive Drugs 39(1), 2007 Mar, pp13-9. PMID 17523581
- ↑ E. M. Krupitsky et al. Ketamine psychotherapy for heroin addiction: immediate effects and two-year follow-up (PDF),Journal of Substance Abuse Treatment23, 2002, pp273-283
- ↑ Jovaisa T, Laurinenas G, Vosylius S, Sipylaite J, Badaras R, Ivaskevicius J (2006). "Effects of ketamine on precipitated opiate withdrawal". Medicina (Kaunas) 42 (8): pp625-34. PMID 16963828
- ↑ 松本広典ほか 「公衆衛生獣医師領域における塩酸ケタミンの麻薬指定に伴う代替薬品の検討」 『獣医畜産新報』 1030号 402-406頁 2007年 文永堂出版 ISSN 0447-0192