クンドゥーズ州
テンプレート:Infobox settlement クンドゥーズ州(テンプレート:Lang-fa[1][2])は、アフガニスタン北東部の州である。面積は8081平方キロメートル(34州中24位)、総人口は約95万人(34州中7位)、人口密度は118人/平方キロ(34州中5位)である[3]。クンドゥーズ県[4]、クンドゥズ州[5]と表記されることもある。州都はクンドゥーズ。
目次
地理
州の北端にはパンジ川が流れ、タジキスタンまで続く広大なオアシスがある。オアシスを過ぎた辺りでパンジ川はタジキスタンのヴァクシュ川と合流し、中央アジアの大河「アムダリヤ川」となる。その南はトルクメニスタンのカラクム砂漠から続く荒野が延びているが、クンドゥーズ州のあたりで山脈にぶつかって終わる。山脈はヒンドゥークシュ山脈からアムダリヤ川に向かって北西に延びる4本の支脈や丘陵で、支脈と支脈の間は盆地になっている。中央の最も広い盆地には南からテンプレート:仮リンク、東からはテンプレート:仮リンクが流れてくる。2つの川は州都クンドゥーズの辺りで合流し、オアシスを作って北西に向かいアムダリヤ川に注ぐ。
歴史
冷戦時代
クンドゥーズ州は1950年頃はカタガン州(現在のバグラーン州)の一部だったが、1958年から1964年頃に分割されて独立した州になった[6]。20世紀前半にシール・ハーン・ナセルがクンドゥーズ州で創業し成功を収めたスピンザー・コットン・カンパニーは、1973年に国有化されたと言う[7]。
冷戦終結後
1992年、ムジャーヒディーンがアフガニスタン民主共和国を倒したが、すぐに内輪もめが始まった。1993年頃のクンドゥーズ州はパシュトゥーン人のアブドゥル・ラスル・サイヤフ(イスラム連合)[8]の影響下にあり、アミール司令官が地元の豪族・軍閥を率いていた[9]。地元豪族の生業は農業と国境貿易であり[9]、国境の街シルハンを巡ってラシッド・ドスタムと交戦した[8]。隣国では1992年からタジキスタン内戦が起き、クンドゥーズ州には4万人の難民や反政府ゲリラが流入した[8]。1994年3月、テンプレート:仮リンク軍がカーブルとタジキスタンの間の輸送路を確保するために、州都クンドゥーズを占領した[10]。1997年6月、ターリバーンはマザーリシャリーフを追われて敵中に孤立していた。ヘクマティヤール派のバグラニー司令官はターリバーンに協力し、クンドゥーズを占領した[11]。9月、ターリバーンはマザーリシャリーフに再度侵攻したが、ドスタムに撃退された[11]。1998年8月、ターリバーンはヘクマティヤール派の内応などによって、マザーリシャリーフを占領した[12]。
アメリカ同時多発テロ事件以降
2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻し、有志連合や北部同盟と共に戦闘を開始した。ドスタムは北部同盟に加盟し、11月にマザーリシャリーフに攻め込んだ[13]。ターリバーンやアルカーイダはクンドゥーズ州に退却したが、クンドゥーズ包囲戦により結局敗北した[14]。2004年10月、第一回の大統領選挙が実施され、クンドゥーズ州ではハーミド・カルザイ(約47%)が最多得票を得た[15]。
第二回大統領選挙後
2009年4月7日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がクンドゥーズ州などを訪問した。ターリバーンやイスラム聖戦連合(IJU)はドイツの国論が分裂している様子を見て、ドイツ軍に対する攻撃を数ヶ月間続けて撤退に追い込もうとした。ISAFは8月の第二回大統領選挙に併せてオカブ作戦を実施してターリバーンに反撃し、選挙も無事行われた。クンドゥーズ州ではアブドラ・アブドラ元外相が最多得票(約55%)を得た[16]。9月、ISAFがターリバーンに盗まれたタンクローリーを爆撃し、周辺に居た数十人の市民が死亡した。ドイツ議会はフランツ・ヨーゼフ・ユング大臣を追及して辞任させた(クンドゥーズ空爆事件)[17][18]。2010年4月、日本人フリージャーナリストの常岡浩介が誘拐された(その後解放)[4]。2010年10月、ムハンマド・オマル知事がタハール州で自爆テロに巻き込まれて死亡した[19]。
行政区分
1市6郡を擁する。
- Ali Abad(アリーアバード郡[2])
- Archi(アルチー郡[2])
- Char Dara(チャハール・ダラ郡)
- Imam Sahib(イマーム・サーヒブ郡[2])
- Khan Abad(ハーナーバード郡[2])
- Kunduz - 州都クンドゥーズ
- Qalay-I-Zal(カラフイ・ザール郡)
都市
クンドゥーズ州では州都(約30万人)やImam Sahib郡(約23万人)、Archi郡(約8万人)などに多くの住民が居る。人口1万人以上の都市はクンドゥーズ(約14万人)やKhan Abad(約4万人)、Imam Sahib(約3万人)、Qala -e-Zal(約2万人)である[20]。
産業
農業
種類 | 生産量 | 順位 |
---|---|---|
小麦 | 36万1000トン | 3位 |
米 | 10万5121トン | 2位 |
大麦 | 1万4760トン | 14位 |
綿花 | 4400トン | 3位 |
とうもろこし | 3080トン | 25位 |
アーモンド | 198トン | 10位 |
グレープフルーツ | 139トン | 20位 |
桃 | 86トン | 8位 |
りんご | 40トン | 22位 |
クンドゥーズ州は小麦(34州中3位)や米(34州中2位)、綿花(34州中3位)の生産が全国的に見ても盛んで[21]、桃(34州中8位)がかなり生産されている[21]。 テンプレート:-
鉱業
住民
民族
クンドゥーズ州の多数派はパシュトゥーン人とタジク人だと言われている。パシュトゥーン人の一部は、19世紀に強制移住させられたカンダハーリーの末裔である[23]。その他にはウズベク人、ハザーラ人、トルクメン人などが続く[24]。主な部族はアイマーク人、Sujani 族、Sadaat 族(ハザーラ人)、シーク・アリ族(ハザーラ人)、イスマーイール派、Omarkhil 族、Ibrahimkhil 族(ウズベク人)、Amadzaee 族、カルルク族(テュルク系遊牧民)、Toghli 族、アラブ人、クチ族、テンプレート:仮リンクである[24]。
言語
クンドゥーズ州の主要言語はパシュトゥー語とダリー語とウズベク語である[24]。識字率は20%である[24]。
主な出身者
- グルブッディーン・ヘクマティヤール - パシュトゥーン人の政治家、ムジャーヒディーン、アフガニスタンの首相。
- アブドゥル・ラティフ・イブラヒミ - ウズベク人。前州知事・現タハール州知事。Imam Sahib 郡を代々支配するイブラヒミ族の一員[9]で、常岡浩介を誘拐した軍閥だと言う[25]。
脚注
- ↑ テンプレート:Lang-*-Latn
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 引用エラー: 無効な
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タグです。 「ira
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Statoids
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 9.0 9.1 9.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 11.0 11.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 21.0 21.1 21.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 24.0 24.1 24.2 24.3 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
参考文献
外部リンク
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