クランタン州
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テンプレート:基礎情報 マレーシアの州 クランタン州(ラテン文字: Kelantan, ジャウィ: كلنتان)は、マレーシアの行政区画 (州) の一つである。
概要
マレーシア東海岸の北部に位置し、南部はパハン州、南東部はトレンガヌ州、西部はペラ州、北部・北西部はタイ王国(ナラーティワート県)と接する。州都は、コタ・バル。
州政府の地方行政区分
- コタ・バル郡 (Jajahan Kota Bharu)- コタ・バル市 (Majlis Perbandaran Kota Bharu)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Pasir Mas)- パシール・マス町 (Majlis Daerah Pasir Mas)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Tumpat)- トゥンパッ町 (Majlis Daerah Tumpat)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Pasir Puteh)- パシール・プトゥ町 (Majlis Daerah Pasir Puteh)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Bachok)- バチョ町 (Majlis Daerah Bachok)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Kuala Krai)- クアラ・クライ町 (Majlis Daerah Kuala Krai)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Machang)- マチャン町 (Majlis Daerah Machang)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Tanah Merah)- タナ・メラ町 (Majlis Daerah Tanah Merah)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Jeli)- ジュリ町 (Majlis Daerah Jeli)
- テンプレート:仮リンク (Jajahan Gua Musang)- グア・ムサン町 (Majlis Daerah Gua Musang)
- Jajahan en:Dabong - ダボン町 (Majlis Daerah Dabong)
- Jajahan Kota Mahligai
地方自治体
- 町
- クトゥル町 (Majlis Daerah Ketereh)
歴史
クランタンは15世紀には独立した王国(スルターン国)であった。明史に「急蘭丹」として記録が残っている。
18世紀にトレンガヌ王国によって占領された。のちにマレー半島進出を狙っていたシャム(現在のタイ)の援助を受け再び独立した。
1909年のテンプレート:仮リンクで、シャムのラーマ6世(ワチラーウット)はイギリスにクランタン、ケダ、トレンガヌ、プルリスを割譲した。
1941年12月8日には日本軍が強襲上陸、クランタンはマレー半島で最初に日本軍が進入した場所となった。
政治
マレーシアの中でもとりわけ信心深いイスラム教徒が多いとされるクランタン州では1990年から国政レベルでは野党の全マレーシア・イスラーム党(PAS)が政権を握っている。1995年、1999年、2004年に選挙が行われてもなおPASによる政権が続いている。言い換えると、クランタン州はマレーシア国内で唯一、国政レベルでの政権党である国民戦線(統一マレー国民組織(UNMO)を中軸とする与党連合)が政権を掌握していない州である。