カッシーノ
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テンプレート:コムーネ カッシーノ(テンプレート:Lang-it)は、イタリア共和国ラツィオ州フロジノーネ県にある都市であり、その周辺地域を含む人口約4万7000人の基礎自治体(コムーネ)。県都フロジノーネに次ぎ、県内第二の人口を有するコムーネである。
郊外にあるモンテ・カッシーノ(カッシーノ山)には、ベネディクト会の著名な修道院テンプレート:Enlinkがあり、第二次世界大戦の激戦地(モンテ・カッシーノの戦い)としても知られる。
地理
位置・広がり
フロジノーネ県南東部に位置する。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。CEはカゼルタ県(カンパニア州)所属。
- サンテリーア・フィウメラーピド - 北
- チェルヴァーロ - 東
- サン・ヴィットーレ・デル・ラーツィオ - 東
- ロッカ・デヴァンドロ (CE) - 南東
- サンタポッリナーレ - 南
- ピニャターロ・インテランナ - 南西
- ヴィッラ・サンタ・ルチーア - 西
- テレッレ - 北西
歴史
かつてヴォルシ人の共同体カッシヌムが近くにあったが、ローマ人により占領され、以後ローマの都市となった。
歴史的には長らくナポリ王国領の都市で、カンパーニアの古い行政区分であるテッラ・ディ・ラヴォーロテンプレート:Enlinkに含まれていた。両シチリア王国領を経て、1860年にイタリア王国への統一後もテッラ・ディ・ラヴォーロ県に所属していたが、ファシスト政権下に行われた行政区画再編によりフロジノーネ県所属となり、ラツィオ地方に含まれることとなった。
第二次世界大戦時、ローマの南方を防御するドイツ軍の要塞線がカッシーノ周辺に築かれ、1944年にはモンテ・カッシーノの戦いでカッシーノの街は完全に破壊された。現在は、1964年に再建されたモンテ・カッシーノ修道院、カッシーノ大学、フィアットの工場などがこの地にある。
行政
山岳部共同体
広域行政組織であるテンプレート:仮リンク「ヴァッレ・デル・リーリ山岳部共同体」テンプレート:Enlink(事務所所在地: アルチェ)を構成するコムーネの一つである。
脚注
関連項目
- モンテ・カッシーノ - 大修道院で有名。