メルセルケビール海戦
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | メルセルケビール海戦 | |
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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 300px 砲火を浴びる戦艦「ストラスブール」 | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1940年7月3日 | |
場所:アルジェリア、メルセルケビール軍港 | |
結果:イギリスの戦術的勝利、戦略的失敗 | |
交戦勢力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | イギリス | ヴィシー・フランス |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | ジェイムズ・サマヴィル中将 | マルセル・ブルーノ・ジャンスール中将 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 戦力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 巡洋戦艦1 戦艦2 航空母艦1 軽巡洋艦2 駆逐艦11 |
戦艦4 大型駆逐艦6 水上機母艦1 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 航空機5機 | 戦艦1沈没、戦艦2中破 戦死1297 |
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メルセルケビール海戦(メルセルケビールかいせん、Mers-el-Kébir)は、第二次世界大戦でのイギリス海軍とフランス海軍との間の海戦。
背景
ドイツ軍の侵攻により、1940年6月22日フランスは降伏した。イギリス首相チャーチルはフランス海軍の艦隊がドイツの手に下り、イギリスのシーレーンを脅かす存在になることを危惧した。そのため、イギリス海軍はフランス艦隊がドイツに渡らないように、自軍の指揮下に入れるか、無力化するために作戦行動を起こした(カタパルト作戦)。
推移
7月2日、サマヴィル中将が率いるH部隊(「フッド」「ヴァリアント」「レゾリューション」、空母「アーク・ロイヤル」、軽巡洋艦「アリシューザ」「エンタープライズ」、駆逐艦11隻)がジブラルタルを出撃した。7月3日朝、H部隊はメルセルケビール沖に到着した。
この時メルセルケビールにはフランス海軍の戦艦「プロヴァンス」「ブルターニュ」「ダンケルク」「ストラスブール」、水上機母艦「コマンダン・テスト」、大型駆逐艦モガドール、ヴォルタ、ランクス、ティーグル、ケルサン、ル・テリブルが停泊していた。また、近くのオランにも10隻の駆逐艦などが存在した。
H部隊の駆逐艦フォックスハウンドが港の入り口付近に停泊し、交渉役のホランド大佐が交渉に向かった。ホランド大佐はフランス軍に対し5つの最後通牒を突きつけた。内容は以下の通りである。
- 再びイギリス側に加わり枢軸軍と戦う。
- 艦艇をイギリスの港に回航する。
- 乗員はできるだけ早く送還し、艦艇が被害を負った場合は補償する。
- 西インド諸島、又はアメリカの港に向かう。
- ドイツの配下になることに抵抗があるなら西インド諸島 -例えばマルティニーク- へ向かい、非武装化できるならアメリカへ向かう。
- 自沈する。
- もし、公式な申し出を拒否すれば6時間以内に自沈を行うよう要求する。
- 戦闘を交える。
- イギリス国王陛下の政府からの要請に基き、どんな手を使ってでもドイツの手に渡ることを防がねばならない。
フランスにとって、(1)と(2)はドイツとの休戦条件によって、到底受け入れられる内容ではなかった。休戦条件の違反を口実にドイツからフランスに残る残存艦艇を接収されかねないためである。また、(4)と(5)も、この時点ではまだ味方意識の残るイギリスとは戦闘を行いたくなかったため、選択することは出来ない。残された(3)を検討しようにも、折から海軍本部をヴィシーへ引越している最中で連絡もおぼつかない。09時にフランス側は交渉役のホランド大佐に対し、「フランス艦艇がドイツ・イタリアの手に渡る事が無いことを保障すること、さらにフランス海軍は不当な攻撃には武力を持って反撃をする用意があること」を申し入れ、明確な回答を避けた。これに対し、イギリス側はフランス側から明確な回答がないことを口実として、12時30分に空母アーク・ロイヤルでソードフイッシュによる湾口への磁気機雷の投下を実行し、戦闘への準備を行っていた。
17時55分についにH部隊が攻撃を開始し、フランス側も反撃した。しかし、フランス艦隊の大型艦は港湾の形状上、艦首を陸上側に向けた格好で停泊してたために、艦尾側の火力で対応する必要に迫られた。このことにより主砲塔を艦首に集中して配置していた最新鋭戦艦ダンケルク、ストラスブールは主砲による砲撃が出来ず、やむなく副砲やその他の備砲で応戦した。ストラスブールは微速で出撃するため、湾口に向けて走り始め、水道に出た時は15ノットを出していた。
ストラスブールの逃亡を阻止しようとイギリス駆逐艦が立ちはだかるも、33cm主砲弾を周囲に受けたイギリス駆逐艦は煙幕を展開して後退。姉妹艦の脱出を援護していた旗艦ダンケルクは英国艦隊旗艦フッドの38.1cm主砲弾を安全距離を割った近距離から四発受け、水線下と二番主砲塔に被害を受けたのち、電力系に損傷を受け、沈黙した。その後、故意に浅瀬に座礁せざるをえなくなった。ダンケルクでは210名が死亡した。
戦艦ブルターニュもフッドからの砲撃により被弾して大爆発を起こし18時9分に転覆した。死者は977名。さらに、戦艦プロヴァンスもフッドからの砲撃により中破し、ほかに駆逐艦モガドールが被弾して爆雷の誘爆により大きな被害を出した。
一方、なおも戦闘能力をもつ戦艦ストラスブールは脱出に成功し、駆逐艦6隻と共に避退した。イギリス艦隊はストラスブールを撃沈するためイギリス航空母艦アーク・ロイヤルから3度にわたり攻撃隊を送ったが捕捉に失敗し、ストラスブールは修理のためにトゥーロンへ帰還した。
結果
イギリスは戦術的勝利を得たが、戦略的にはフランスの世論を枢軸国寄りにする火種を作ってしまったほか、フランスに連合軍に対する決定的な不信感を与えてしまい、戦略的敗北とまではいかないが戦略的失敗をしてしまった。また、サマヴィルは本国にフランス地中海艦隊の主力を三隻撃沈・着底させ無力化したと報告したが、実際は戦艦ダンケルクとプロヴァンスは修理のためやむを得ず故意に座礁したのであり、応急的な修理を施された二隻はトゥーロンに帰還してしまったため、戦艦一隻を撃沈しただけに留められた。
備考
イギリス艦隊司令官ジェームズ・サマヴィル中将はかつての同盟国との戦闘を快く思っておらず、攻撃には手心を加えていた。
ダンケルクは短時間にフッドに対し主砲・副砲弾を合わせて40発余りを撃って極めて軽微ながらも損傷させ、ストラスブールは劣勢状況下で脱出を果たしたことからダンケルク級戦艦の優秀さを伺うことができる。
参考文献
第二次大戦 世界の戦艦(双葉社)
関連項目