オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ
ナショナルサッカーリーグ(National Soccer League)は、オーストラリアで開催されていた国内サッカーリーグである。略称はNSL。
歴史と概要
長年、オーストラリアのサッカーはオセアニアサッカー連盟(OFC)の強豪として名を馳せるものの、ワールドカップサッカーでは大陸代表になっても、当時のシステムでは大陸間プレーオフを勝ち上がらないと出場できないことになっていた(その項参照)ため、1974年西ドイツ大会を最後に出場から遠ざかっていた(2006年ドイツ大会でようやく出場権獲得)。またオーストラリアのサッカーはオーストラリアン・フットボール(オージーボール)に人気が取られており、リーグ戦の観客動員も今ひとつであった。
そこでオーストラリアのサッカーのレベルアップを図るためにということで、セミプロ組織としてのナショナルサッカーリーグが創設される事になった。
大まかなシーズンの流れは、13チームの1クラス制による2回戦総当たりホーム・アンド・アウェーでリーグ戦を行い、その後上位6チームが準決勝リーグを更に2回総当りを行い、上位2チームが優勝決定戦を争うという3ステップでリーグ戦を行うというものであった。
リーグの最後期にはパース・グローリーFCや、シドニー・ユナイテッドFC、ウーロンゴン・ウルブスなどが地域密着のチーム運営を進めつつリーグ戦で常に上位に君臨する名門チームに成長した。
その後、財政破綻の問題や民族色が強いチームがほとんどで、それぞれのチームのサポーターが衝突していた問題などを一挙に解決し、更なるレベルアップを図るために、2005年-2006年シーズンの大会から参加チームを8チームに厳選して完全プロリーグ「Aリーグ」と組織改編して開催することにした。Aリーグのスポンサーには、韓国のヒュンダイ・モーターズ(現代自動車)やリーボックなどがついた。
NSLの問題とAリーグ発足の経緯
NSLは多くの問題があった。一つは財政破綻の問題である。1970年代から2004年までの間にNSLの累積赤字は日本円で約400億円に上るまでになっていた[1]。毎年、政府はNSLに対して、補助金を支給してきたが、その使途も不透明であった。その為、政府としてもNSL改革は急務であった。他の問題として、NSLのクラブのほとんどが移民のチームだったことがある。小都市のチームこそ、多人種混合チームも存在したが、大都市では移民のそれぞれの出身国のクラブが競い合っていた。その為、試合では民族間の代理戦争とも言えるサポーター同士の衝突が頻繁に起きた。例えば、クロアチア系移民のチームのシドニー・ユナイテッド(旧シドニー・クロアチア) (Sydney United)とギリシャ系移民のチームのシドニー・オリンピック (Sydney Olympic)の試合では、クロアチア系移民とギリシャ系移民が衝突するわけである。そのような民族色が強い移民のチーム同士のリーグ戦に一般の国民が興味を抱くわけが無く、さらにチーム間のサポーター同士の衝突もあり、一般国民にとってのサッカーのイメージは暴力的で民族色の強い移民のスポーツというものであった。オーストラリアサッカー連盟も何の手も打たなかったわけではなく、1990年代からNSLのチーム名に民族的な由来を示すような名前をつけることを禁止し、「都市名のみ」または「都市名+愛称」の新しい名称に変えることを義務付ける[2]など、移民のスポーツからの脱却を図ったが、決定的な解決にはならなかった。
これらの問題を全て解決する為に、2003年に就任したFrank Lowy(フランク・レービ)[3]オーストラリアサッカー連盟会長の下、NSLを清算し、2004年11月に同国初のプロリーグAリーグを発足させた。Aリーグは『民族』ではなく、日本のJリーグ同様『地域性』をコンセプトにすえ(例えば、シドニー市民は、出自の民族に関係なくシドニーFCを応援する)、1都市1チームを原則として、民族色の強いチームを排除し、暴力的なイメージを一新させた。なお、Aリーグに加入できなかったNSLのチームは、規模を縮小し、Aリーグとは別の独自のリーグ戦を開催している。Aリーグは2005年8月より本格的にリーグ戦を開始し、Aリーグ全体平均観客動員数1万人を記録(シドニーFCは平均観客動員数1万5千人)[4]。Aリーグは、移民のスポーツであり、マイナースポーツであるとのオーストラリアのサッカーのイメージを一新させることに成功した。
参加クラブ
2003-2004シーズン
- アデレード・ユナイテッド (Adelaide United FC)
- ブリスベン・ストライカーズ (Brisbane Strikers)
- フットボール・キングズ (Football Kingz ニュージーランド)
- マルコーニ・スタリオンズ (Marconi Stallions)
- メルボルン・ナイツ (Melbourne Knigts)
- ニューカッスル・ユナイテッド (Newcastle United)
- ノーザン・スピリット (Northern Spirit)
- パラマタ・パワー (Paramatta Power)
- パース・グローリー (Perth Glory)
- サウス・メルボルン (South Melbourne)
- シドニー・オリンピック (Sydney Olympic)
- シドニー・ユナイテッド (Sydney United)
- ウーロンゴン・ウルブス (Wollongong Wolves)
歴代優勝クラブ
- 1977 シドニー・シティー
- 1978 アデレード・シェークス
- 1979 マルコーニ・スタリオンズ
- 1980 シドニー・シティー
- 1981 シドニー・シティー
- 1982 シドニー・シティー
- 1983 セント・ジョージ
- 1984 サウス・メルボルン
- 1985 ブランズウィック・ジュヴェントゥス
- 1986 アデレード・シティー
- 1987 APIAライカート
- 1988 マルコーニ・スタリオンズ
- 1989 マルコーニ・スタリオンズ
- 1989-1990 オリンピック・シャークス
- 1990-1991 サウス・メルボルン
- 1991-1992 アデレード・シティー
- 1992-1993 マルコーニ・スタリオンズ
- 1993-1994 アデレード・シティー
- 1994-1995 メルボルン・ナイツ
- 1995-1996 メルボルン・ナイツ
- 1996-1997 ブリーズベン・ストライクス
- 1997-1998 サウス・メルボルン
- 1998-1999 サウス・メルボルン
- 1999-2000 ウーロンゴン・ウルブス
- 2000-2001 ウーロンゴン・ウルブス
- 2001-2002 オリンピック・シャークス
- 2002-2003 パース・グローリー
- 2003-2004 パース・グローリー
脚注
- ↑ サッカーワールドカップ2006 6/2オーストラリア編(1)「Aリーグ発足の意義」
- ↑ [後藤健生著『世界サッカー紀行2002』P440]
- ↑ フランク・レービwiki英語版
- ↑ サッカーワールドカップ2006 6/2オーストラリア編(1)「Aリーグ発足の意義」