オリバー・ハザード・ペリー
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オリヴァー・ハザード・ペリー(Oliver Hazard Perry, 1785年8月23日 - 1819年8月23日)はアメリカ海軍の軍人。米英戦争に従軍し、エリー湖の戦いにおいてアメリカ海軍に決定的な勝利をもたらし「エリー湖の英雄」と呼ばれた。
経歴
ペリーは海軍軍人であるクリストファー・レイモンド・ペリー(1760年12月4日 - 1818年6月8日)とサラ・ウォーレス・アレグサンダー(1764年 - 1830年12月4日)の息子であり、末弟は日本の開国をもたらしたマシュー・カルブレース・ペリーである。
ペリーはロードアイランド州ニューポートで育ち、1799年4月7日に海軍兵学校に入学し父親のフリゲート、ジェネラル・グリーンに配属となる。彼の初めての戦闘経験は1800年2月9日のハイチであった。
ペリーは1819年のベネズエラ遠征で、土着の昆虫による疾病により死去した。
ペンシルベニア州ペリー郡は彼にちなんで命名された。郡は1820年に成立した。
アメリカ海軍は彼にちなんでオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートの1番艦にその名を命名した。