エドワード1世 (イングランド王)
テンプレート:基礎情報 君主 エドワード1世(Edward I, 1239年6月17日 - 1307年7月7日)は、プランタジネット朝第5代イングランド王(在位1272年 - 1307年)。ヘンリー3世の長男。渾名は "Longshanks"(「ロングシャンクス」、「長い足」、「長脛王」、背は190cmあったから)と "Hammer of the Scots"(「ハンマー・オブ・ザ・スコッツ」、「スコットランド人への鉄槌」)であった。
生涯
第2次バロン戦争(1264年 - 1267年)では、1265年8月4日のテンプレート:仮リンクで父を助けて改革派の諸侯を破り、国政の実権を掌握した。1272年に父王が死去した時、エドワードは第8回十字軍に遠征中でイングランドを不在にしていたが、諸侯によって国王に推戴された。1273年に帰国して、土地保有制度改革や教会裁判権の抑制などの諸政策を次々と打ち出し、保守派と改革派の融和を図って国内を安定させた。1277年、イングランド王への忠誠を拒否したグウィネズ(ウェールズの王国)の支配者ルウェリン・アプ・グリフィズを攻撃し、ルウェリン・アプ・グリフィズは討ち死にした。プリンス・オブ・ウェールズはテンプレート:仮リンクが継承したが、1283年9月30日に捕らえられたダフィズ・アプ・グリフィズが死刑宣告され10月3日に過酷な首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑された。1290年7月18日、テンプレート:仮リンクによってユダヤ人を追放した[1]。1290年9月26日にスコットランド女王マーガレットが死去すると王位継承権者たちの争いに介入し、1292年にジョン・ベイリャルをスコットランド王位につけイングランド王に臣従させた。
さらに1294年、ガスコーニュ地方をめぐってフランスとの戦争を開始すると、以後10年間に渡ってフランスやその同盟国であったスコットランドとの抗争に明け暮れた。翌1295年、対フランス戦費調達に召集した議会は、聖職者・貴族・州および都市の代表が実状にあって構成されていたためテンプレート:仮リンク(Model Parliament)と呼ばれる。1296年、ジョン・ベイリャルがフランスと同盟して反旗を翻すと、ジョン・ベイリャルを逮捕。スコットランドには総督を置き、スコットランドを統治下においた。翌年にウィリアム・ウォレスを指導者とする反乱が起きた。1298年にエドワードはフォルカークの戦いでこれを破ったが、その後もウォレスはゲリラ戦により抵抗した。1301年に長男エドワード(エドワード2世)をプリンス・オブ・ウェールズと称させた。1303年フランスと講和するとスコットランドに再度遠征し、1305年、ウォレスを捕らえて処刑することに成功したが、最終的に反イングランド派に推されたロバート・ド・ブルースがスコットランド王に即位した。1307年に3度目のスコットランド遠征の途上病死した。
人物
エドワード1世は隣国との争いに明け暮れる生涯を送ったが、結婚生活は平和だった。
意思の強固な野心家であり、武勇に優れ、政策に妙をきわめ、計略と搾取が巧みであった。 賢王と賛えられ、イングランド史上屈指の名君とされている。またトランプのキングのモデルとも言われている。
スコットランド側から描いた映画『ブレイブハート』には、残虐非道な王として登場する。
子女
最初の王妃エリナー・オブ・カスティルとの間に16人の子女をもうけた。
- 長女(1255年)
- キャサリン(1264年)
- ジョーン(1265年)
- ジョン(1266年 - 1271年)
- ヘンリー(1268年 - 1274年)
- エリナー(1269年 - 1298年) - 1293年、バル伯アンリ3世と結婚
- ジュリアーナ(1271年)
- ジョーン(1272年 - 1307年) - 1290年に第7代グロスター伯爵ギルバート・ド・クレアと結婚、1297年に初代モンサーマー男爵ラルフ・ド・モンサーマーと再婚
- アルフォンソ(1273年 - 1284年)
- マーガレット(1275年 - 1333年) - 1290年、ブラバント公ジャン2世と結婚
- ベレンガリア(1276年 - 1277/1278年)
- 九女(1277年 - 1278年)
- メアリー(1279年 - 1332年) - 修道女
- 四男(1280/1281年)
- エリザベス(1282年 - 1316年) - 1297年にホラント伯ヤン1世と結婚、1302年に第4代ヘレフォード伯爵ハンフリー・ド・ブーンと再婚
- エドワード2世(1284年 - 1327年) - イングランド王
2番目の王妃マーガレット・オブ・フランスとの間に3人の子女をもうけた。
脚注
- ↑ 350年後の1657年、オリバー・クロムウェルによってユダヤ人の帰還が許された。
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