アーニー・エルス
テンプレート:ゴルファー アーニー・エルス(Ernie Els, 1969年10月17日 - )は、南アフリカ・ヨハネスブルグ出身のプロゴルファーである。優雅なスイングとおっとりした物腰から、The Big Easy(ビッグ・イージー)というニックネームで呼ばれている。
経歴
テニスなど他種のスポーツでも高い資質を見せたが、その中からゴルフを職業に選び、1989年にプロ入りした。
初期は主に南アフリカのツアーで活躍し、1992年には南アフリカのツアーで11戦6勝を挙げ、2ヶ月間に南アフリカPGA選手権、南アフリカマスターズ、南アフリカオープンで優勝し、ゲーリー・プレイヤー以来の南アの3冠制覇を成し遂げた。さらに、この年7月のミュアフィールド(開催14回目)での「全英オープン」では66-69で予選を通過して、4日間通算では首位のニック・ファルドに5打差の5位タイとなる活躍であった。1993年は「ダンロップ・フェニックス選手権」で優勝している。1994年のオークモントカントリークラブでの「全米オープン」でメジャー大会初優勝を果たした。最終日6月19日にエルスは単独首位発進したが73打を叩く間に、70打で廻ったコリン・モンゴメリーとローレン・ロバーツに5アンダーパー(279打)で首位に並ばれ、翌6月20日に行った2種類のプレイオフをエルスが制した。まず、18ホールのプレイオフを行い、78打のモンゴメリーが脱落、ともに74打のエルスとロバーツがサドンデスのプレイオフへと突入し、2ホール目にエルスがパー、ロバーツがボギーで勝負あり。この優勝を機に米国・欧州ツアーに本格参戦し始める。1997年には、コングレッショナルカントリークラブ・ブルーコースでの「全米オープン」で3年ぶり2度目の優勝。54ホール終えた時点で3年連続首位のトム・レーマンが、3年連続で最終日に逆転された。レーマンは終盤、16番ホールでピンを狙いすぎてボギー、17番ホール(480ヤード、パー4)では第2打を池に入れ、3位に終わった。最終日のエルスはレーマンと2打差の2位スタートであったが、最後まで競り合った同組のモンゴメリーとは、17番ホールで勝敗が分かれた。エルスのドライバーショットは完璧で、ピンから2.5mに2オンし、2パットでパーセーブしたのに対し、モンゴメリーはドライバーショットを曲げてラフに入れてしまい、ピンから2mに3オンしたが2パットしてボギー。この1打差を18番ホール(パー3)で守っての優勝であり、最後の5ホールをパーで凌いだのが勝因であった。
1998年前半の数週間、断続的に世界ランキング1位の位置にいたことがある。しかし、この年の後半は病気に苦しみ、しばらく試合を欠場した時期があった。2002年の第131回「全英オープン」(ミュアフィールド、開催15回目)では、4ホールのプレイオフとサドンデスプレイオフを制して、5年ぶりとなるメジャー大会3勝目を挙げた。荒天の大会3日目には、タイガー・ウッズが自己ワーストスコアの81で廻った。2012年の第141回「全英オープン」(ロイヤルリザム&セントアンズ、開催11回目)では、親交のあるアダム・スコットを終盤に逆転して、10年ぶりとなるメジャー大会4勝目を挙げた。
2001年11月、日本の太平洋クラブ・御殿場コースで開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に南アフリカ代表として出場、レティーフ・グーセンとコンビを組んで優勝した。この時はアメリカを含む4チームによるプレーオフを制している。
ツアーでも予選落ちが少なく、安定感のある選手。その高い身体能力から「アスリート・ゴルファー」と称賛されることもある。
ツアー優勝歴
PGAツアー
- 1994年:全米オープン
- 1995年:GTEバイロン・ネルソン・ゴルフ・クラシック
- 1996年:ビュイック・クラシック
- 1997年:全米オープン、ビュイック・クラシック
- 1998年:ベイ・ヒル招待
- 1999年:ニッサン・オープン
- 2000年:ザ・インターナショナル
- 2002年:ジェニュイティ選手権、全英オープン
- 2003年:メルセデス選手権、ソニーオープン・イン・ハワイ
- 2004年:ソニーオープン・イン・ハワイ、メモリアル・トーナメント、アメリカン・エクスプレス選手権
- 2008年:ザ・ホンダ・クラシック
- 2010年:CA選手権、アーノルド・パーマー招待
- 2012年:全英オープン
外部リンク
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