アラン・ジンター
テンプレート:Infobox baseball player アラン・ジンター(Alan Michael Zinter, 1968年5月19日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
テンプレート:Byのドラフト1位でニューヨーク・メッツに入団するが、なかなかメジャーに昇格できないまま移籍を繰り返していた。
シカゴ・カブスのマイナーである3Aアイオワに所属していたテンプレート:By5月に、この年から入団していたグレッグ・ブロッサー、アーキー・シアンフロッコが全く打てないのが災いして深刻な貧打に陥っていた西武ライオンズが緊急獲得。ちなみにジンターはアイオワでは当時同僚だった野茂英雄とバッテリーを組んだ経験もあり、野茂は「日本で活躍できる」と太鼓判を押していた。
5月14日のオリックス戦で日本プロ野球史上6人目の「初試合満塁本塁打」を打つ(他には駒田徳広や井口資仁などが記録)など来日当初はそこそこに打っており一時期は4番も打っていたが、日本の投手に慣れられるには時間はかからなかった。なぜか日本ハム戦には強く、7月初めの3連戦では3試合とも本塁打を打っているが、全体としてはジリジリと打率は下がっていき、2割割れが近付いてきた8月中旬に二軍に落ちると、そのまま一軍に上がることなく解雇された。
西武退団後、再びカブスのマイナーに戻り、その後も長らくマイナー生活を送っていたが、ヒューストン・アストロズに所属していた2002年に34歳で念願のメジャー初昇格を果たした。その後、アリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍し、現役引退。現在はダイヤモンドバックスのマイナーでコーチを務めている。
エピソード
ジンターは来日直後に同僚となった当時ルーキーの松坂大輔に、「君は日本の(カブスで同僚だった)ケリー・ウッドだと聞いてきたよ」と言った。
ウッドは前年にメジャーデビューし、メジャータイ記録の1試合20奪三振を記録するなど大活躍して新人王を取った投手であったため、この言葉はジンターにとっては松坂に対する最高の賛辞であった。
しかし、当時からメジャー志向が強かった松坂はメジャーに関しても造詣が深く、ウッドが右肘を故障して1999年はシーズン絶望ということを知っていた。折りしも松坂は開幕からの投げ過ぎが原因で登録抹消中であったため、ウッドほどの重傷ではないにせよ、置かれた状況はウッドと似たようなものであった。このため、ジンターの言葉が不吉に聞こえてしまった松坂は苦笑するしかなく、その場は気まずい雰囲気になってしまったという。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 西武 | 61 | 210 | 173 | 20 | 35 | 8 | 0 | 8 | 67 | 28 | 2 | 1 | 0 | 1 | 35 | 2 | 1 | 59 | 3 | .202 | .338 | .387 | .725 |
テンプレート:By2 | HOU | 39 | 44 | 44 | 5 | 6 | 2 | 0 | 2 | 14 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | .136 | .136 | .318 | .455 |
テンプレート:By2 | ARI | 28 | 40 | 34 | 2 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 15 | 0 | .206 | .300 | .353 | .653 |
NPB:1年 | 61 | 210 | 173 | 20 | 35 | 8 | 0 | 8 | 67 | 28 | 2 | 1 | 0 | 1 | 35 | 2 | 1 | 59 | 3 | .202 | .338 | .387 | .725 | |
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MLB:2年 | 67 | 84 | 78 | 7 | 13 | 4 | 0 | 3 | 26 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 34 | 0 | .167 | .214 | .333 | .548 |
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1999年5月14日、対オリックス・ブルーウェーブ7回戦(西武ドーム)、3番・指名打者として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、2回裏に小林宏から右越満塁本塁打
背番号
- 42 (1999年)
- 43 (2002年)
- 25 (2004年)