アメリカ教育使節団報告書
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アメリカ教育使節団報告書(あめりかきょういくしせつだんほうこくしょ)は、連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団による報告書である。
1946年3月5日と7日<第一次>、1950年8月27日<第二次>と来日した。1946年3月30日に第一次報告書を、1950年9月22日に第二次報告書を提出した。この報告書に基づき、戦後の学制改革が実施された。その際日本側も、多くの著名な知識人・文化人が協力している。
第一次教育使節団報告書
第一次教育使節団報告書は学制の公布に際する『太政官布告』(「披仰出書」、1872年)、『教育勅語』(1890年)と共に日本の教育の歴史をつくった最も重要な文書の一つに数えられ、大日本帝国を支える大和魂や八紘一宇などの教化のための日本史、修身、地理などの教科を廃止し、民主制教育の制度と内容の提案がなされた。
主要な提言
第二次教育使節団報告書
第二次のアメリカ教育使節団の報告書。これは第一次使節団の提言がどのように生かされているかとの調査・補足が目的のためのものであった。
文献
- アメリカ教育使節団編、藤本昌司ほか訳、鳳書房、1995年
- 『対独アメリカ教育使節団報告書』 対ドイツアメリカ合衆国教育使節団編
- 同翻訳検討委員会編訳、明星大学出版部、1990年