アイ・ミー・マイン

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  1. 1970年に発表されたビートルズの楽曲。
  2. または1980年に2,000冊が限定で刊行されたジョージ・ハリスン[1]の本。83曲の作詞原稿(再現)が載っている。イギリスのジェネシス・パブリケーションズから出版された。

以下、前者について解説する。


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アイ・ミー・マインI Me Mine)は、1970年に発表されたビートルズのラスト・アルバム『レット・イット・ビー』に収録された楽曲である。

もともとこの曲は、リリースされずに終わったアルバム『ゲット・バック』(後に『レット・イット・ビー』としてリメイクされた)の収録曲候補ではなかった。トゥイッケナム映画撮影所でのリハーサル・セッションで本作を演奏し、曲に合わせてジョンがヨーコとワルツを踊っているシーンが映画『レット・イット・ビー』に含まれていたが正式なレコーディングは行われていなかった。「映画の内容と合うLPになるように」という要請がなされたため、それに従って「ゲット・バック・セッション」が終わって1年近く経った1970年1月3日アビー・ロード第2スタジオで追加レコーディングされた[2]。1969年6月には既にプラスティック・オノ・バンドを結成していたジョン・レノンはレコーディングに参加しなかった[3]

元々は1分34秒の短い曲だったが、のちにフィル・スペクターがアルバム『レット・イット・ビー』のために後半をリピートして演奏時間を1分近くも延ばす編集をおこない、1970年4月1日にはオーケストラ・パートの追加録音を行った。

レット・イット・ビー...ネイキッド』にも収録されているが、ここではオーケストラがカットされていて、歌詞も一部異なる。ただし曲の長さは『レット・イット・ビー』と同じである。

ビートルズ・アンソロジー3』に収録されているヴァージョンが、1970年1月3日付けのベスト・テイク。(冒頭のコメント以外は)録音当時のままの(1’34”、オーケストラもなし)で収録されている。

ジョージは、自分の曲が(レノン=マッカートニーという強力なソングライティングチームのために)レコードに採用されることが少ないことに不満をもっていた。とりわけポールはジョージを過小評価しており、彼がバンドの実権を握った1967年以降、ジョージの曲に高いハードルをつけて入れないようにしていた。そのためジョージの不満は自然とポールに向き、『ゲット・バック』セッションではギター・プレイをめぐって口論となり、対立は決定的となってしまった。このように自己主張の激しく場合によっては他人の意見を無視するポールに対する揶揄として作られた、と言われている。 そう言われる理由は歌詞の内容にあり、「『いつもいつも僕が、僕が、僕が』と頑なに自分の事のみを主張し、またそれを曲げようとしない人」の姿と、「それに振り回されて大変な目に遭う『みんな』」の様子が描かれている。もっともジョージ自身は「僕自身にもある、人間の身勝手なエゴイズムを皮肉って書いてみた」「『バガヴァッド・ギーター』の一節を基にした」と語っていた。しかしながら、ポールだけがジョージを特別軽視していたわけではなく、ジョンもポールも、潜在意識の奥底ではジョージとリンゴを軽んじていた部分があった。ポールは1988年前後のマーク・ルーイスンとの対談で、「酷な言い方かもしれないが、当時は『僕らが唄うのが当然』だと思っていた。ジョージやリンゴのための曲を、僕らが唄うための曲と同様に重視し始めたのは活動の後のほうになってからだった」と語り、ジョージ自身も、1979年になってから「ジョージの本を読んだが、僕について全く何も書かれてなかった。あいつの人生にとって、僕の存在はその程度ってことか」と毒づいたジョンに反論し「彼らは良くも悪くも『”ジョンとポール”で居ること』に夢中だったから、他にいる人間(ジョージとリンゴ)のことが見えていなかった。」と評している。

脚注

  1. ジョージ・ハリスン『ジョージ・ハリスン自伝 I ME MINE』山川真理訳、河出書房新社、2002年、570ページ
  2. 「ゲット・バック・セッション」はアップル・スタジオで行われた。
  3. 2009年以前に市販されていた旧音質版CDの、更に初期プレスに入っていた版の古いライナー・ノーツでは「ポールはその時期(1970年1月)、スコットランドに籠っていて、対立していたジョージの曲にわざわざ参加するとは考えにくく」、「仮に、ジョンが不参加なことを根拠にするならば」と書いた上で、「このセッションが行われたのは、ジョンが交通事故で入院していた1969年6月~8月下旬までの期間である可能性も考えられるのではないか」と書かれていたが事実ではない。

参考文献