長岡東西道路

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フェニックス大橋(2014年(平成26年)3月26日 東端)

長岡東西道路(ながおかとうざいどうろ)は、新潟県長岡市都市計画道路のひとつ。全区間が地域高規格道路に指定されている。

概要

都市計画道路

長岡市南部の交通アクセス向上を目的に、国道17号長岡東バイパス)、長岡インターチェンジ長岡ニュータウンから国道8号長岡バイパス)に至る交通路と、信濃川に架かる道路橋梁の整備などを目的とした都市計画道路。

2013年(平成25年)11月24日の時点では、一部区間が都市計画道路として開通しているが、地域高規格道路としての開通区間は長岡市西宮内一丁目交差点~才津西町交差点間の3.0kmの区間が2013年(平成25年)11月24日の午後3時30分に暫定2車線で供用を開始した。整備区間のうち橋梁部はフェニックス大橋として、国土交通省の権限代行によって建設が進められ、同橋梁のうち信濃川橋梁のP3~P8の橋脚基礎には、ニューマチックケーソン工法が採用されている。仮に全線が開通すると長岡バイパス、長岡東バイパス、左岸バイパス(都市計画道路西津町古正寺線)などとともに、長岡市の外環状道路を形成することになる。

1977年(昭和52年)11月4日に長岡ニュータウンの整備計画の一環として都市計画決定された際、長岡市高畑から同市宮本町に至る延長約10kmの区間が指定されたが、その後の第二次オイルショックやニュータウンの開発停滞等で計画は進捗しなかった。この間、特に信濃川と渋海川を横断する「ニュータウンブリッジ」(当時の仮称)に関しては市域南部やニュータウン住民などが主体となり、両岸の交通円滑化などを目的に県や市に対し早期着工を要望する活動が続けられていた。

長岡東西道路はその後1994年(平成6年)12月16日に地域高規格道路の計画路線に指定され、このうち要町から才津東町に至る延長3.3kmの区間が1997年(平成9年)9月10日付で整備区間に指定され、新橋梁の着工が決定。1999年(平成11年)3月9日付で高畑から才津東町に至る延長6.03kmの区間が、改めて「長岡東西道路」として都市計画決定された。この際、才津東町から宮本町に至る区間は、都市計画上の名称が「長岡ニュータウン中央線」に改称された。

前述の通り、現状では地域高規格道路としての開通区間はフェニックス大橋を含む、長岡市西宮内一丁目交差点~才津西町交差点間の3.0kmの区間が2013年(平成25年)11月24日の午後3時30分に供用を開始した。現道としては宮内駅北側で信越本線をオーバーパスする「沢田跨線橋」が1977年(昭和52年)8月に供用を開始し、今日においては新潟県道370号滝谷三和線及び市道の区間として宮内町交差点 - 西宮内一丁目交差点間にて供用を行っている(通称「沢田跨線橋通り」)。東西道路東側の、高畑から宮内町に至る宮内町交差点以東の区間の事業着手時期は未定であるが、長岡東バイパス高畑南交差点は当道路と接続が可能なように整備されており、また宮内町交差点付近をオーバーパスする上越新幹線の高架橋の支間は車道4車線分の幅員が確保されている。また西側の、才津東町から宮本町に至る都市計画道路長岡ニュータウン中央線は、国道404号および新潟県道48号長岡西山線の区間として、才津東町地内や、西津町から深沢町に至る区間等、一部暫定2車線の区間を除くほぼ全区間が完成4車線で供用されている。

関連項目

外部リンク

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