釜石シーウェイブス
テンプレート:ラグビーチーム 釜石シーウェイブスRFC(かまいしシーウェイブスラグビーフットボールクラブ)は、岩手県釜石市に拠点を置くラグビークラブ。2013年-2014年シーズンはトップイーストリーグ所属。
歴史
新日鉄釜石ラグビー部時代
1959年、富士製鐵釜石製鐵所の企業倶楽部である「富士鉄釜石ラグビー部」として結成。
1970年、新日本製鐵への社名変更に伴い、チーム名も「新日鉄釜石ラグビー部」に変更。
1978年から1984年まで主将の松尾雄治を筆頭に洞口孝治、千田美智仁、森重隆、小林日出夫らの主力を擁して、日本選手権にて当時最多の7連覇を達成。その強さから「北の鉄人」と呼ばれ、日本ラグビー史に一時代を築いた。
2001年に東日本社会人リーグから降格。加えて新日本製鐵のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から2001年を最後に新日鉄釜石ラグビー部としては一旦幕を下ろした。
釜石シーウェイブス時代
2001年、本拠地の釜石市に密着したクラブチームに生まれ変わり、チーム名称を「釜石シーウェイブスRFC」と改めて再始動した。
2002年、ニュージーランド出身で外国人として初めて日本代表主将を務め引退後東芝府中のヘッドコーチを務めていた、アンドリュー・マコーミックを選手として招聘[1]。2003年、トップイースト10で2位(リーグ戦3位)に入り、ジャパンラグビートップリーグへの昇格を争うトップリーグチャレンジと日本選手権出場(前身の新日鉄釜石ラグビー部時代以来となる19年ぶり)を果たした。
2007年、岩手県ラグビーフットボール協会と提携して「イーハトーブリーグ」を設立。
2011年、東北地方太平洋沖地震に際して、拠点を置く岩手県釜石市が壊滅的被害を受ける。一時チーム関係者全員の安否不明の状態が続いたが、後に選手とその家族全員の無事が確認された。チームとしての活動を一時休止。ボランティア活動などの復興支援に積極的に取り組んだ[2]。5月3日に練習を再開[3]。5月4日に「スクラム釜石」という復興・チーム再建支援組織を松尾雄治、石山次郎らが中心となって旗揚げした[4]。
タイトル
- 日本ラグビーフットボール選手権大会
- 優勝(8回):1976年、1978年-1984年
- 全国社会人ラグビーフットボール大会
- 優勝(9回):1970年、1976年、1978年-1984年
スポンサー
以下は、公式サイトにて確認されるスポンサーの一覧である
- 新日鐵住金
- 小岩金網
- 阪神低温
- SMC
- チタカ・インターナショナル・フーズ
- 吉野家
- アイリスオーヤマ
- ALSOK岩手
- 善紀クリニック
- 斉藤整形外科
- はまと神経内科クリニック
- 中田薬局
- 東北電力
- 仙人秘水
- VESPA
- 岡村製作所
メディア
- テレビ・ラジオ
- 新聞
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本ラグビーフットボール選手権大会優勝チーム テンプレート:全国社会人ラグビーフットボール大会優勝チーム
テンプレート:新日鐵住金- ↑ マコーミックら新戦力7人発表 岩手日報 2002年4月1日
- ↑ “北の鉄人”被災地で奮闘「力仕事は任せろ」 スポーツニッポン 2011年3月16日
- ↑ 活動自粛の釜石シーウェイブス、練習再開 ラグビー asahi.com 2011年5月4日
- ↑ 松尾雄治氏ら「スクラム釜石」設立 サンケイスポーツ 2011年5月5日