西山優里子
テンプレート:半保護 テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 西山優里子(にしやま ゆりこ、1966年9月30日 - )は、日本の漫画家。女性。
代表作は、ストリートバスケを題材にした『Harlem Beat』。
経歴
フランス・パリ生まれ。姉と弟がおり、3人姉弟の次女[1]。大使館に勤める父親[1]の仕事の関係で少女時代の大半を日本国外で過ごす。8歳の時はラオス王国のヴィエンチャンに家族と共に住んでいた[1]。当時は冷戦の時代で、サイゴン陥落が起きるなど東南アジアが東西に分かれて揺れていた時期であった。そのような中、1975年に共産勢力であるパテート・ラーオがヴィエンチャンを制圧、同年夏、共産勢力から逃れるために家族ぐるみで日本に帰国する(なお父親は大使館員として在留邦人の保護などの仕事があるためこの時は帰らず、後に帰国している)[1]。
小学生の頃、三原順や和田慎二、柴田昌弘らに憧れ、漠然と漫画家になりたいと思うようになる[2]。中学2年生のときに再びフランスに引っ越して暮らした[3]。大学入学後、漫研で本格的に漫画を描き始め[2]、その後アメリカにミニ留学をした[3]。(後に日本に帰国して)在学中に『花とゆめ』(白泉社)に4回ほど投稿したがうまくいかなかった[2]。そんな折、知り合いの原作者がついてくれるという話があり、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて読み切りでデビュー[2][4]。
その後は連載に漕ぎ着けられず、大学卒業後は就職しOLになる[2]。その後、大学時代の漫研の同人誌が『週刊少年マガジン』編集部の目に留まり、OLの仕事の傍ら漫画を執筆[2]。1989年、「YUTA」で第43回週刊少年マガジン新人漫画賞に入選[2]。その後漫画執筆に専念するため会社を退職[2]。1991年、『マガジンSPECIAL』(講談社)にて「ノーハドル」で連載デビュー[2]。以後、『週刊少年マガジン』などを中心に講談社の各漫画雑誌にて活動する。
2013年まで、講談社の女性向け漫画雑誌『Kiss』にて「家電の女」を、青年向け漫画雑誌『イブニング』にて「ジャポニカの歩き方」を連載。
作品リスト
漫画
- ノーハドル(マガジンSPECIAL、1991年5号 - 1992年12号、全5巻)
- Harlem Beat(マガジンSPECIAL(単行本未収録)→週刊少年マガジン、1994年34号 - 2000年8号、全29巻、文庫版全16巻)
- DRAGON VOICE(週刊少年マガジン、2001年7号 - 2003年8号、全11巻)
- 臆病者よ ギターを取れ(月刊少年ライバル、2008年6月号、読切)
- 純情カレンな俺達だ!(週刊少年マガジン、2008年40号 - 2009年13号、全3巻)
- QBかりん 警視庁特殊SP班(Kiss、2010年1号 - 2011年7号、全4巻)
- 家電の女(Kiss、2011年14号読切を経て、同年24号 - 2013年9月号、全4巻)
- ジャポニカの歩き方(イブニング、2011年7号 - 2013年9号、全7巻)
- DIRTY CHRIST SUPERSTAR(モーニング、2013年45号 - 同年48号短期集中連載を経て、同年52号 - 2014年14号)
ゲーム
- シャイニング・フォース ネオ(キャラクターデザイン担当)
アシスタント
出典
外部リンク
テンプレート:Manga-artist-stub- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 1.3 『イブニング』連載『ジャポニカの歩き方』第一話より。なお父親は在ラオス大使館勤務(1975年)時の地位は参事官。
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 Kissスペシャルサイトのインタビューより。
- ↑ 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 『イブニング』連載『ジャポニカの歩き方』第二十五話より。
- 元の位置に戻る ↑ ただし、西山優里子名義ではなく、別の名義。この時期の読み切り作品で原作・作画が分かれていて、なおかつ、単発(連載を持てなかった)という作品は存在しないため、原作・作画の共同ペンネーム(ex.藤子不二雄)を使ったものと思われる。