深浦 (列車)

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テンプレート:列車名 深浦(ふかうら)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が青森駅弘前駅 - 深浦駅間を奥羽本線五能線を経由して運転していた快速列車である。なお、本項では、一部区間で並行していた快速「岩木」についても取り上げる。

運行形態

運行終了時点のもの
  • 下り列車は4両編成になっており、深浦駅発の2両は弘前行き編成。鰺ケ沢駅で進行方向前側に2両を増結する。この2両が青森行き編成である。
  • 上り列車は青森駅発の2両編成のみ。ただし、川部駅で、弘前方からは奥羽本線下り普通列車との接続がある。また、青森方からも五能線下り弘前行き普通列車の接続がある。
  • 青森行きは五能線上り弘前発鰺ケ沢行き始発列車の折り返しとなる為、雪などで鰺ケ沢到着が遅れる場合、深浦発が鰺ケ沢駅まで定時運転されても鰺ケ沢駅の発車が遅れる場合があった。

停車駅

深浦駅 - (五能線内各駅停車) - 川部駅 - 北常盤駅 - 浪岡駅 - 津軽新城駅 - 新青森駅 - 青森駅

※弘前駅行は撫牛子駅にも停車

使用車両

五能線速達列車の沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)

  • 1965年10月1日:鰺ケ沢駅 - 青森駅・鮫駅を結ぶ準急列車として「岩木」の名称が与えられる。
    なお、「岩木」の名称は秋田駅 - 青森駅間を奥羽本線経由で運転する準急列車として1961年9月15日まで使用されていた名称であった(こちらも参照のこと)。
  • 1968年3月25日:準急行列車制度廃止に伴い「岩木」急行列車に昇格。また、上り列車の始発駅を鰺ケ沢駅から深浦駅に変更。
  • 1968年10月1日:「岩木」を「深浦」に改称。
  • 1972年3月15日:「深浦」運転区間を陸中八木駅まで延長。同時に八戸駅 (旧・尻内駅)- 陸中八木駅間(八戸線内)を普通列車化。
    • 急行「深浦」は運行区間により、最短1輌から最長4輌編成(全車普通車自由席)で運行した。上り列車は深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間は1輌・鯵ヶ沢駅 - 川部駅間は4輌・川部駅 - 陸中八木駅間は3輌で運行した。なお、深浦発の1輌は黒石行き(川部駅 - 黒石駅間普通列車)であった。下り列車は陸中八木駅 - 青森駅間は3輌・青森駅 - 川部駅間は7輌(急行「むつ4号」秋田行き・3輌編成を併結[1])・川部駅 - 鯵ヶ沢駅間は4輌・鯵ヶ沢駅 - 深浦駅間は1輌で運行した。
  • 1974年7月:「深浦」陸奥岩崎駅まで臨時延長運転(深浦駅 - 陸奥岩崎駅間普通列車、以後、毎年実施)。
  • 1975年3月10日:「深浦」深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間を普通列車化。
  • 1978年7月:「深浦」陸奥岩崎駅までの臨時延長運転廃止(78年は延長区間を快速列車で運転)。
  • 1978年10月2日:「深浦」鰺ケ沢駅 - 川部駅間を普通列車化(下り列車は五所川原駅 - 川部駅間快速列車)。
  • 1982年11月15日:「深浦」急行列車から快速列車へ格下げ。運転区間を深浦駅 - 青森駅間とする。
  • 1986年11月1日:五所川原駅・弘前駅 - 青森駅間運転の快速列車の名称に「岩木」の名が採用される。
  • 1989年8月1日:「深浦」青森行きに弘前行き編成の連結開始。
  • 1993年12月1日:「岩木」名称を「いわき」に改め、運転区間を秋田駅・大館駅・弘前駅 - 青森駅間に変更し五能線乗り入れが廃止される。同時に電車化
  • 2002年12月1日:「いわき」の愛称が消滅。無名の快速列車(青森駅 - 弘前駅・大館駅)となる。同時に「深浦」下り列車の五所川原駅 - 川部駅間を普通列車化、五能線内各駅停車となる。
  • 2010年12月4日東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間の開業(全線開通)に伴い、新青森駅に新規停車し、通過駅は大釈迦駅鶴ケ坂駅のみとなる。
  • 2014年3月15日:「深浦」廃止。

列車名の由来

  • 「岩木」…車窓から見える岩木山に由来する。
  • 「深浦」…深浦町の地名に由来する。

その他

  • 2010年1月NHKで放送されたにっぽん木造駅舎の旅では津軽新城駅が紹介されたが、番組冒頭とエンディングに流れた列車は、当列車であった。

関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist

  1. 急行「むつ4号」は、大館駅- 秋田駅間では、盛岡駅始発・花輪線経由の急行「よねしろ4号」秋田行きを併結。