浜松基地

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テンプレート:Infobox airport

ファイル:Hamamatsu Air Base Aerial photograph.1988.jpg
浜松基地付近の空中写真。(1988年撮影の8枚を合成作成)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

航空自衛隊浜松基地(はままつきち、JASDF Hamamatsu Airbase)は、静岡県浜松市西区西山町無番地にある航空自衛隊の基地。以前は浜松飛行場を中心に南・北の基地が併設されていたが、現在は統合されて一つの基地になっている。

基地司令は、第1航空団司令が兼務。

歴史

ファイル:National Safety Forces Aviation School.JPG
1952年10月、保安隊航空学校設立
  • 1925年大正14年) - 陸軍飛行第7連隊新設。
  • 1933年昭和8年) - 浜松陸軍飛行学校設立。
  • 1945年(昭和20年) - アメリカ空軍不時着飛行場として使用。
  • 1952年(昭和27年) - 保安隊航空学校設立。(陸上自衛隊航空学校の前身)
  • 1954年(昭和29年) - 航空自衛隊操縦学校、整備学校、通信学校設立。
  • 1955年(昭和30年) - 臨時教材整備隊設立。航空団設立。
  • 1957年(昭和32年) - 浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊設立。
  • 1958年(昭和33年) - 浜松基地に臨時救難航空隊を編成。
  • 1958年(昭和33年) - 南・北の基地が分立し、北基地に第1航空団、浜松管制隊、浜松気象隊が移駐。
  • 1958年(昭和33年) - 南基地の臨時救難航空隊を救難航空隊に改編。救難教育隊、救難整備隊が新設された。
  • 1960年(昭和35年) - 北基地にブルーインパルス編成。
  • 1960年(昭和35年) - 救難航空群本部が入間基地に移動する。
  • 1962年(昭和37年) - 南基地に術科教育本部設立。
  • 1965年(昭和40年) - 北基地に飛行教育集団司令部、宇都宮飛行場から移駐。
  • 1969年(昭和44年) - 南基地に教導高射隊設立。
  • 1970年(昭和45年) - 全日空アカシア便ハイジャック事件発生。浜松基地に緊急着陸。
  • 1971年(昭和46年) - 救難教育隊が小牧基地に移駐する。
  • 1971年(昭和46年) - 南基地に小牧基地から小牧救難隊が移駐して浜松救難隊となる。
  • 1976年(昭和51年) - 南基地に中部航空音楽隊設立。
  • 1981年(昭和56年) - ブルーインパルス、松島基地へ移駐。
  • 1982年(昭和57年) - 航空祭中にブルーインパルスが墜落事故
  • 1985年(昭和60年) - 第6移動警戒隊設立(南基地)
  • 1988年(昭和63年) - T-33AからT-4への機種更新開始
  • 1989年平成元年) - 南・北の基地が統合して「浜松基地」となる
  • 1998年(平成10年) - 高射教導隊発足。早期警戒管制機E-767)実用試験隊発足
  • 1999年(平成11年) - 警戒航空隊、第601飛行隊第2飛行班及び早期警戒管制部隊を発足、司令部を三沢基地から移動。航空自衛隊浜松広報館開館。
  • 2000年(平成12年) - 警戒航空隊、早期警戒管制機(E-767)の正式運用を開始。
  • 2004年(平成16年) - 第6移動警戒隊を廃止、解散。
    • 10月3日に開催された航空祭に、「航空自衛隊創設50周年」を記念してアメリカ空軍曲技飛行チーム『サンダーバーズ』が飛来。
  • 2005年(平成17年) - 警戒航空隊、空中警戒管制隊から飛行警戒管制隊へと改編する。
  • 2008年(平成20年)5月 - 高射教導隊にペトリオットミサイル(PAC-3)の配備を開始[1]

配置部隊

航空教育集団直轄

航空総隊直轄

中部航空方面隊隷下

航空支援集団隷下

防衛大臣直轄

浜松広報館

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航空祭

ファイル:JASDF Hamamatsu Airbase Thunderbirds Display.JPG
エアフェスタ浜松2009でのサンダーバーズ
ファイル:JASDF Hamamatsu Airbase Thunderbirds Display Flight.JPG
エアフェスタ浜松2009で展示飛行を行うサンダーバーズ

毎年秋に航空祭を実施しており、「エアフェスタ浜松○○○○」(○には西暦の年号が入る)と称している。ブルーインパルスの展示飛行の他に、航空自衛隊で使用している航空機や米軍から借用した機体などの展示、ブルーインパルスの地上職員による「ジュニア」の演技、各種航空機の展示飛行などのイベントが催される。入場無料。

1982年11月14日の航空祭では「T-2ブルーインパルス」が「下向き空中開花」演技中4番機が墜落、パイロット1名が殉職、周辺住民12名の負傷者を出す事故を起こした。以後浜松基地の航空祭では「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が全面禁止され、「浜松スペシャル」と題した「水平飛行系演技」のみとされた。「T-4ブルーインパルス」に機種改編後も「浜松スペシャル」が続けられていたが、1999年11月14日の航空祭より「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が解禁され、18年ぶりに第一区分の展示飛行を実施した。

夏には「浜松基地納涼祭」(浜松基地 納涼の夕べ)を毎年実施する。当日は南基地の一部を開放し、盆踊り等により地域住民との交流を図っている。入場・参加無料。

2004年10月の航空祭に、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が飛来し展示飛行を行う予定だったが、悪天候で飛ぶ事はなかった。

2009年10月17日に開催された航空祭では、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が展示飛行を行い、約12万人が来場した。


浜松基地の航空祭以外でもブルーインパルスが飛行することがある。これは、宮城県松島基地所属のブルーインパルスが他の基地等へ展開する際や、他の基地等から松島基地に帰投する際に、給油のため浜松基地に立ち寄るためである。その際はブルーインパルスのコンバットブレイクやフォーメーションテイクオフを見ることができる。ただし、浜松基地の天候が悪く、石川県の小松基地を経由して松島基地に帰投した例もある。

登場作品

ドキュメント番組
映画
劇中当時浜松基地に在籍していた、ブルーインパルスが撮影協力した。
浜松救難隊のエプロンで撮影が行われた。

その他

  • 所属するほとんどの部隊が隊員への教育を目的とした部隊である。
  • 滑走路をもつ基地としては珍しく、基地周辺は都会で交通の便も発達しており、いわゆる「遊ぶ場所」が非常に多い。このためか那覇基地と並び希望任地で1番にする隊員が多い。

脚注

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  1. ペトリオットPAC-3の浜松配備について 防衛省 2008年5月14日

外部リンク

テンプレート:Airport-infoテンプレート:Mil-aviation-stub

fa:پایگاه نیروی هوایی هالوارا