春苅島
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テンプレート:Infobox 春苅島(はるかるとう)は、いわゆる北方領土の歯舞群島にある一島。無人島。ロシア名はハルカル島(о. Харкар)。
ハルカルモシリまたは春苅茂尻島(はるかりもしりとう)とも呼ばれ、アイヌ語の「ハル・カル・コタン(オオウバユリの鱗茎・採取すること・村→オオウバユリの鱗茎・採取すること・村)」または「ハルカルモシリにあるコタン(村)」に由来する。
納沙布日誌には「ハルカルモシリ」と記されている(モシリはアイヌ語で「島」を意味する)。
地理
勇留島の東の沖合に位置し、上の島、中の島、下の島から成る。総面積はわずか2平方kmしかない。
歴史
江戸時代には、樹木が無いが飲水は有り、アイヌは「夷船」で春苅島へ渡っていたと記されている[1]。
また、霧が深く東には岩礁があり、北・西・南の三方は岸が深く、やはり暗礁が多いとも記録されている[2]
寛政11年(1799年)にネモロ(根室)とアッケシ(厚岸)両場所のアイヌが立会い、秋勇留島とともに双方の入会地となった[3]。
明治時代には珸瑶瑁村の一部となり、後に歯舞村に属し、戦前は中の島にのみ6人住んでいた。
現在はロシア連邦の占領・実効支配下にある。日本も領有権を主張しており、1959年より根室市に編入されている。
参考文献
- 『北方領土地名考』 北方領土問題対策協会編、1978年
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
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