新治県
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新治県(にいはりけん)は、1871年12月25日から1875年5月7日まで、日本の太平洋沿岸に存続した県の一つ。現在の茨城県南部と千葉県東部に当たる。県庁所在地は土浦。古代の新治国や律令制下の新治郡とは別の領域。
特徴
水郷・霞ヶ浦周辺・筑波山麓を範囲とする県である。武神で有名な鹿島神宮と香取神宮、筑波山を範囲に収めており、また銚子や筑波山麓といった醤油の産地も立地している。
沿革
- 1871年12月25日(明治4年旧暦11月14日) - 第1次府県統合により、常陸国麻生県、石岡県、土浦県、志筑県、牛久県、若森県、松川県、龍崎県、下総国多古県、小見川県、高岡県が統合され、利根川を跨ぐ新治県が設置された。県庁は新治郡の土浦城本丸御殿に立地した。
- 1875年(明治8年)5月7日 - 第2次府県統合により、新治県は利根川を境に分割され、利根川以北は茨城県に編入され、利根川以南は千葉県に編入された。
管轄地域
歴代知事
- 1871年(明治4年)11月14日 - 1872年(明治5年)1月20日 : 権令・池田種徳(前若森県権知事、元広島藩士)
- 1872年(明治5年)1月20日 - 1872年(明治6年)5月29日 : 不在
- 1872年(明治5年)5月29日 - 1873年(明治6年)11月24日 : 参事・中山信安(元幕臣)
- 1873年(明治6年)11月24日 - 1875年(明治8年)5月7日 : 権令・中山信安(前新治県参事)
関連項目
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