大友氏時
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大友 氏時(おおとも うじとき、? - 1368年4月8日(正平23年/応安元年3月21日))は南北朝時代の守護大名。大友氏の第8代当主。父は第6代当主・大友貞宗。母は少弐盛経の娘(異説あり)。氏継、親世の父。
足利尊氏の寵愛を受けてその猶子となり、また「氏」の字を与えられて氏時と名乗った。正平17年/貞治元年(1362年)、異母兄・大友氏泰の死により家督を継いで当主となった。当時の九州では南朝勢力の菊池武光の勢力が強かったため、北朝側の氏時は少弐頼尚と共同して菊池軍と戦った。しかし筑後川の戦いで大敗を喫して大友氏の勢力は衰退する。
そして敗戦の失意のうちに病に倒れて死去。法号は天祐。家督は嫡男の氏継が継いだが、次男の親世が北朝について大友家は2派に分裂してしまった。この状態は文安元年(1444年)に氏継の孫・大友親繁が両派の支持を受けて家督を相続するまで続く。