北条浩
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北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年(大正12年)7月11日 - 1981年(昭和56年)7月18日)は、海軍兵学校卒業後、海軍中尉として終戦を迎える。創価学会男子部第2部隊長、副理事長、副会長、理事長などの要職を歴任後、1979年、池田大作の後任として、第4代会長に就く。参議院議員を1期務める。
経歴
- 1923年7月11日、北条釐三郎の長男として生まれる。学習院中等科を卒業。海軍兵学校(第73期)を卒業後、海軍中尉として終戦を迎える。
- 法華講から創価学会に移籍後、1951年10月、男子部第2部隊長を振り出しに、主任参謀、副理事長などを歴任。
- 1964年11月17日、公明党結成に参加し、公明党副委員長に就任する。1964年12月、公明党書記長に就任する。1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、公明党公認候補として立候補し、初当選する(当選1期)。参議院議員を1期務めた後、政界からは退く。
- 1970年、秋谷栄之助、森田一哉と共に、副会長。理事長を歴任。
- 1979年4月、創価学会会長の池田大作の退任にともない、第4代会長に就任。
- 1981年7月18日、入浴中に心筋梗塞を起こし、急死。享年58。会長の後任には、副会長の秋谷栄之助が就任。
人物
- 先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第三代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。男系では伊達氏の子孫にあたる。
- 学習院時代の同窓に、作家の三島由紀夫がいる。
- 北条の死後の1985年、創価学会による宮本顕治宅盗聴事件について、東京地方裁判所は、北条を含めた創価学会上層部と創価班幹部による盗聴への関与を認定する判決を下し、確定した。しかし、2009年(平成21年)1月28日、東京地方裁判所は判決で「盗聴事件は創価学会を脅迫した元弁護士・山崎正友の独断で行われた」と認定し、宮本委員長が原告の裁判で教団の関与が認定された判決と異なる判断が出た。
親族
- 父北条釐三郎
- 叔父北条雋八(元参議院議員、後北条家14代当主)
- 弟北条尚(後北条家15代当主)
役職歴
公明党副委員長、書記長
参考文献
- 池田大作著『人間革命』(全12巻)